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徳島の人間は並ばない。本当に並ばない。順番も守らない。銀行のCD機。スーパーのレジ。飲食店。いかなる場所でも順序よく並ぶことをしない。
先日、銀行のCD機で現金をおろすことがあった。私がCD機コーナーについたとき、3台あるCD機はすべて埋まっており、真ん中のCD機の後ろに少し間を開けて中年の男性が立って待っていた。私は当然のようにこの男性の後ろについて順番を待った。これはフォーク並びの基本である。CD機が何台あろうと一列に並び、空いたところから順番に使っていく。文明的な地域では、特に案内がなくとも皆このように利用するのが当然になっている。わたしはその時、自分自身の文明人としての良識ある行動にある種の陶酔感と恍惚感とを覚えていた。しかし、である。この調和のとれた空間は一人のおばんの出現によって、もろくも崩れ去ってしまうのである。
一番左のCD機の客の作業が終わり、私の前の中年男性がCD機に近づこうとした瞬間、あろう事か、後から入ってきたおばんが中年男性の機先を制し、何事もなかったように一番左のCD機を占拠してまったのである。 |
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この一瞬の出来事に、私と中年男性はしばし唖然としてしまった。おばんがCD機コーナーに入ってくる遙か前から順番を待っている私と中年男性の姿が目にないらなかったのだろうか。何の意味もなく私が中年男性の後ろに並んでいたとでも思ったか?こんな非人道的な行為が果たして許されてよいものだろうか。私の脳裏には、自分達の身勝手な理論を振りかざし、日本を陥れた極東軍事裁判での連合国軍の姿が目に浮かんでいた。
いやいや。もしかしたら本当にこのおばんには我々の姿が目に入らなかったのかもしれない。悪気はなく、ただ単に、CD機の真ん中に列を作って待っている我々二人の姿が全く目に入らなかったのかもしれない。もしも我々が並んでいることに気づいたなら、このおばんも私の後ろに並んでいたに違いない。おばんといえど人間である。長い人生の中には間違いの一度や二度はある。ここで怒りをあらわにしては、良識ある文明人としては失格である。などと、出来るだけよい方に考えようと微力ながら努力していた。が、しかし、悲劇はまだ終わってはいなかった。
我々がこの光景にとまどっているうちに、一番右側の客の作業が終わり、この客が振り返ってCD機を離れようとした瞬間、なんとおばん2が現れ一番右のCD機を占領してしまったのである。 ああ、なんと言うことだ。私が長年本土で培ってきた文明人としての良識は、もろくも音を立てて崩れ去ってしまった。 |
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人間が一人だけで文明的な生活習慣を維持することは不可能である。人間が人間である以上、周りの人間にもある程度文明的な良識を期待する。そうでなければ「万人の万人に対する闘争」状態になり、とても文明的な生活を維持することは出来ない。文明が未発達だった時代では、公の権力によってこの闘争状態から人々を庇護していた。しかし、この日本においてはそのような前文明的なことは払拭されて久しいと、本土にいる間は信じて疑わなかった。少なくとも私の住んでいた地域ではこのような光景に出会うことは皆無である。全ての人が順序と秩序を守り、どんなときでも譲り合いの心を失うことはない。私は未だかつてこのような酷い目にあったことはなかった。しかし、私は井の中の蛙であったのである。
私の直前で並んで順番を待っていた中年男性は、不快感を顔いっぱいに表し銀行をでていってしまった。この男性は徳島の人だったのであろうか。おそらくは、たまたま訪れただけの異邦人であったのだろう。もし、良識的な人間であれば、中年になるまでこの徳島で生き残ることは出来はしない。
以上は、実際にあった話である。この事件のあった後にも何度となく同じような目にあった。レストランでの順番待ち。スーパーのレジ。郵便局や役所の窓口。徳島で良識的な行動をとっているといつまでたっても順番が回ってこない。徳島では順番は回ってくるものではなく、自分から勝ち取るものなのである。油断しているとすぐに自分の権利が侵される。徳島に住んでいると、文明人としての良識的な行動を忘れ、退化し、だんだん心が荒んでいくのがわかる。
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注:もちろん文明的な徳島の人もいます。 |
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