天声人語 2001年08月08日
知人と先日話をしていて、妙なことで意見が一致した。「本屋で立ち読みをしていると、なぜかトイレに行きたくなる」。男ばかりだったが、居合わせた者がみな、そういえばというのである。
本の紙やインキのにおいが刺激になるのではないか。本棚をのぞきこんだり、立ち読みをしたりする姿勢が問題なのではないか。あくまで心理的なものではないか。各方面から諸説論じ合ったが、結論は出なかった。
ところが世の中は広いもので、すでに先達がいた。元製薬会社勤務という人が開設しているホームページに、われわれが推理した仮説は網羅されていた。「現象としてはあるものの、万人が納得するような理由は不明」が、その結論のようだった。
トイレが充実している書店はあまりない。トイレ自体の数が少ない上に、あったとしても狭い。見えにくい所にそっと設けられているのが普通だ。増えているという万引き対策なのかもしれないが、少し困る時がある。
欧米の書店でも、トイレが充実しているところは少ない。ただ、売り場にはゆったりとスペースがとってある。床のじゅうたんに寝そべったり、据え付けのソファに座ったりして、ゆっくり本を選んでいる人たちがいる。日本の狭苦しい書店と比べると、何ともうらやましい。
街の本屋が次々と廃業に追い込まれ、昨年1年間に史上最多の約1300店がつぶれたそうだ。そんな時代に夢物語なのかもしれないが、広くてきれいなトイレがあって、心おきなく本を選ぶことのできる本屋はどこかにないものだろうか。
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「散人雑報」(現在閉鎖)
本屋に行くと催すのはなぜ 2001/5/1
「本屋に入ると、なぜかトイレに行きたくなる」。本好きの知人、友人らがよくこんなことを話す。実は何を隠そう(隠すこともないか)、僕も本屋をうろついていると生理現象に襲われることがしばしばある。不思議である。
書店をして人々に便意を催さしめる要因は何か?活字を読むと脳神経を刺激し下半身に指令を出すのか。インクや紙のにおいが腸や膀胱にある種の作用するのか。それとも…。
某日、神保町の書店に行った際、答がひらめいた。
いつものように、一駅前の小川町で地下鉄を降り、スポーツ店などをのぞきながら神保町交差点に着いた。三省堂1階で古地図を見て、新刊本をひと通りチェックした後、エスカレーターで2階に向かう途中、腹がぐるぐる鳴り出した。あわてて、トイレに駆け込み、便座に座りながら、次のようなことが浮かんだのだ。
本屋でトイレに行きたくなるのは、要するに「食事と運動」の関係にほかならない。本屋に行くのは、昼食の後だったり、喫茶店でコーヒーを飲んだ後、というケースが多い。僕のようにウオーキングを兼ねて本屋めぐりをする場合はもちろん、かなりの運動量になるが、本屋に直行する人でも、いろんな棚を見て回るうちに知らず知らず適度の運動をすることになる。すなわち「食事または喫茶」プラス「適度な運動」イコール「腸のぜん動(便意)」という図式ができあがる、というわけである。
この日の僕も、その例に違わず、昼食後の本屋訪問だった。「そうだったのか」と、ひとり合点し、スッキリしてトイレを後にした。
ところで、本屋のトイレはどうしてどこも狭いのだろうか。理由は簡単だ。本当は、どこもトイレなど置きたくないのである。大型書店であれば、あるほど置きたくはないはずだ。つまり、万引きの問題である。本を盗んでやろうという輩にとって、トイレという個室は実にありがたいだろう。中規模店であれば店員の監視もできるが、大型店になれば、事実上不可能だ。しかし、設置しないわけにはいかない。そこで、申し訳程度の小さなトイレが置かれたのである(たぶん)。
都内の大型書店に集まる人数は半端じゃない。1日当たり何千人になるのか(あるいは1万人を超えるのか)。これだけの人々が集まり、さらに、上記の理由でトイレに行きたくなるケースも多い。それに比べ、トイレの収容人数の少ないこと。僕は、都内某所の大型書店1階で催し、その階にあるトイレに行ったが使用中、仕方なく2階のトイレに行ったがここも先客がいて駄目。さらに3階のトイレをノックしたが中からノックが返ってきてアウト。結局、どこも使用中で、危機が迫ってきて、脂汗を流したことがある。
話は変わるが、5年ほど前、ロサンゼルス郊外のパサディナという町の書店を訪れたことがある。地元に住む友人が案内してくれたのだが、店内に入って驚いた。真ん中に大きな喫茶コーナーがあり、みんな、棚から好きな本を引っぱり出してきてそこでコーヒーを飲みながら読んでいたのだ。
僕は友人に「ここは新刊本の書店で、図書館じゃないよね?」と念を押した。「もちろん、そうさ」と友人。「客にただで読ませていたら、本が売れなくなるんじゃないのか」と聞くと、「そう思うだろう。でも、違うんだな」と言って笑った。
彼によると、逆に、こうした本屋は売り上げを伸ばしているという。理由は次ぎの通り。ただで本を読めるので客が集まった。そのまま、買わないで返る客もいるが、途中まで読んでいるうち、自宅でじっくり読みたくなり買う客も多いからだという。
僕の脳裏には、日本の本屋の情景が浮かんでいた。「立ち読みお断り」の張り紙。もし、立ち読みをしている客がいれば、その横でこれ見よがしにハタキをかける店主の姿…。パサディナの書店は、これと正反対のことをやり、なおかつ成功していた。これは驚きだった。しかし、アメリカでいくら繁盛しても、日本にはこの手の本屋はできないな、と思っていたのだが、ここ1、2年の間に、日本でも、喫茶コーナーを設け、自由に新刊本を読ませる書店がいくつもできた。いずれも好調だという。
ただで本を読ませるというのは、「逆転の発想」といえるが、実は、客のニーズに柔軟に対応するという「商売の基本」に従ったからともいえる。そこで、トイレの話に戻るが、都内の大型書店は、この際、思い切ってトイレを大規模に改造してはいかがだろうか。大きくするだけでなく、ウオッシュレットやエアタオルを導入、床は大理石風にして鏡も広くし、バッハやモーツアルトの室内楽を流す。こうすれば、少なくとも女性客には絶大な人気を得るだろう。
不況、デフレ傾向の中、新刊本を扱う書店はどこも苦しく、逆に「BOOK・OFF」などの古本屋が繁盛してるという。そういう時代だからこそ、「ただ読み」の喫茶コーナーやホテル並みの快適なトイレを設け、「スターバックスに行くんだったら、○○書店に行こうよ」と言わせるような本屋にしないといけないのでは、と思う。
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