[社会]

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広島県立世羅高校校長の自殺の真相(12/04/15)

 昨年2月末、広島県立世羅高校の校長が自殺に追い込まれた。彼の死をきっかけに、「国旗国歌法案」が成立するに至る。

 彼が世羅高校に赴任するのは二度目だった。最初は若い頃普通の教員として、広島県立世羅高校で教鞭を執った。当時の彼を知る人は、温厚で責任感のある立派な先生だったという。そして、二度目の赴任。今回は校長という立場での赴任であった。

 彼は、世羅高校に赴任した最初の日、職員室で職員全員に対し挨拶をした。

「私はこの高校に赴任するのは二度目です。最初は教員として赴任しました。今回は立場が違いますが、みなさんと協力して頑張って参りたいと思います。」

 彼が世羅高校に来て最初に書いた文章は、「反省文」だった。

 当時、世羅高校に勤務してた43歳のA教諭が、校長の挨拶に対して噛みついたのだ。
「立場が違ういうのはどうゆうことなら。(広島弁)」(立場が違うというのはどういうことですか)と・・・

 このA教諭は県高教組の分会長を勤めていた。殆ど授業を受け持たず、勤務中であろうと、高教組の仕事と称して職員室で新聞を広げている典型的なアカ教師であった。そこにきまじめで温厚な校長が赴任してきたのである。このA教諭にとっては、さぞイジメがいのある管理職であったに違いない。

 校長はこのA教諭につるし上げられ、職員会議で口頭で謝罪し、反省文まで書かされて捺印させられた。「立場が違う」という発言は撤回された。さぞ屈辱的だっただろう。しかし、このA教諭のイジメはこれだけにとどまらなかった。

 世羅高校では、校長の権限で職員会議が開かれることはまず無かった。校長が職員会議の要請をしても、A教諭の同意がないと開くことが出来ない。逆に、A教諭の個人的判断で、日常的に校長を除外した職員会議が開かれていた。掃除に関しても、校長室の掃除を担当するクラスには、掃除の手を抜くように指示。学校行事に関しても、校長が口を挟むことは殆ど出来ず、このA教諭が一人で仕切っていたのである。

 そして学年末。教育委員会から、卒業式での国旗掲揚を強く要請されていた校長は、その案件を議論するために職員会議を開こうとした。しかし、A教諭はそれを無視し続けた。校長は根気よくA教諭やその他の教諭を説得したが、職員会議が開かれたのは校長が打診してから一ヶ月もたってのことだった。

 校長が国旗掲揚についての要請を始める。その話が始まるやいなや、A教諭のヤジが飛ぶ。しかし、校長は根気よく話し続けた。校長が話している最中からA教諭の怒鳴るような反対意見が飛び出す。とてもではないが、会議と呼べる物ではなかった。

 職員会議はA教諭の
「ああ、終わった終わった。みんな帰るぞ!!」という言葉で終わった。しかし、何も終わっていない。校長はまだ話の途中であった。

そして校長は自殺した。


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