平成十二年二月四日〜二月十三日まで
■天猜人誤(平成十二年二月十三日)
<<石川県で狂犬の集会>>
一月に第49次全国教研集会が石川県で開かれた。日教組の教師たちがこれからの教育と子供のことについて話し合ったらしい。
テーマとしてはイジメ、不登校、学級崩壊と実務に関した項目と、国旗国歌関連、反戦平和のイデオロギーに関した項目に別れていた。
しかし、よくもまああきもせず毎年毎年同じようなテーマでやっていけるものだと感心してしまう。学習指導要綱はともかくとして、学校の実務においては日教組の影響はかなり反映されている。にもかかわらず、いまだに50年前と同じお題目を唱え、教育環境や教育の成果が少しは良くなったかと思えば、イジメ、不登校、援助交際、学級崩壊と惨惨たるありさまを呈している。いったいこの連中は50年間何をしてきたのだろう。戦後50年間、あれだけのエネルギーを持ってこういった諸問題に取り組んできたにもかかわらず、道徳はすたれ、学級は崩壊し自殺者が跡を絶たないような教育現場にしてしまった。こいつらはまさに無能の集団である。
いや、無能なだけなら害毒は少ないが、この連中は意識的に社会や教育を悪いほうに悪いほうに誘導しようとしている。教育者の権威を失墜させ、道徳観念を奪い、国家への帰属意識を否定する。しかも、大東亜戦争中の事であることないことでっち上げ、中国共産党の出先機関のようなプロパガンダを展開する。子供には平気で嘘を教え自虐教育を行う。こんな事が果たして許されて良いのだろうか。
教育者たちは自分たちが聖職にあり、次世代の日本を支える人材を育成しているのだということを自覚し、今までの罪を償い、反省し、明日の日本のために働いて欲しいものである。
■天猜人誤(平成十二年二月十二日)
<<各地で紀元節の奉祝行事>>
昨日は紀元節だった。非常に天気が良く、天もこの良き日を祝福しているようだった。各地では奉祝の催しが開かれた。しかしその反面、一部で反対の集会も開かれた。
今回の紀元節の各集会について朝日新聞も報じていた。まず、奉祝の催しの記事を書き、その後に反対集会の記事を書いていた。順番としては正しい。しかし、問題はその内容と分量である。
報道された奉祝の催しは明治神宮で行われた一件のみだった。しかも、行われたという事実のみを淡々と書いている。それに対し反対集会は三件紹介し、その背景まで詳しく説明している。また、日本人の祝日である紀元節と、在日朝鮮人や戦争責任などのくだらない事項と絡めあわせて、反対集会の意味を強調していた。
また、同新聞系列のテレビ朝日のニュースステーションでは奉祝行事の報道を、「…・など、したりしていました。」と他者の行動として表現し、反対集会の報道を「…をしました。」と自分自身の行動と重ねあわせて表現していた。このように微妙に表現に差をつけることによって、愚かで判断力のない視聴者に朝日の主張を刷り込もうとしている。全く姑息な手段である。
報道機関が厳正中立であるとは毛頭思っていない。各社によって主義や主張があって良いと思う。しかし、偏った主張をしているにもかかわらず、それを巧妙に隠し、あたかも厳正中立であるかのように振る舞うのは許せない。日本人のすべてが十分に判断力を持っていれば良いが、そうではない現状で、朝日新聞とテレビ朝日は国民に(朝日は国民という言葉を嫌がり市民という言葉を使いたがる)甘言を弄し、真実を伝えず偏向した内容をあたかも中立的立場から物を言っているようにる舞い洗脳しているのである。
■天猜人誤(平成十二年二月十一日)
<<都内の中学校で猿が署名運動>>
都内某中学校で、卒業証書の年号の記載を、2000年を記念して西暦にしてほしいとの署名運動が起こっているらしい。朝日新聞はこのことを、さぞ文明的で誇らしいと言わんばかりに報道していた。■天猜人誤(平成十二年二月九/十日)
お休み
■天猜人誤(平成十二年二月八日)
<<草加事件の異常な顛末>>
草加事件の民事裁判で、高等裁判所への差し戻し判決がでた。事実上の無罪判決である。この事件は、当初から少年たちと証拠との科学的矛盾が指摘されており、通常では考えられないような経過をたどっている。
まず、少年たちは少女を輪姦したと自白したが、少女の処女膜は健在だった。膣内からも精液は検出されていない。犯行現場にも複数人の足跡は発見されていない。被害者の胸から採取された唾液の血液型はAB型だったが、少年たちにAB型の血液型はいない。
処女膜が健在だったことに関して埼玉県警は、少年たちが初めての性交だったので勃起しなかったためと説明している。その割にはあまりにもリアルな、ポルノ小説を読むような供述調書を取っている。唾液の血液型がAB型だった件は、A型の唾液とB型の唾液が混ざったからだと説明する。
いずれにしろ物証に乏しかったが、少年たちが自白したことと少年事件であるということでそれ以上の捜査がされなかった。この事件は二つの大きな問題を投げかけている。
一つは、もし少年たちが犯人だったとしたならば、何の罪もない少女を輪姦し殺害したにもかかわらず、少年審判になっている。通常の刑事事件として裁判されていない。16歳以上であれば、犯罪によっては刑事事件として立件できるにもかかわらずである。(確認していないのだが、全員16歳未満だったのだろうか・・)
もう一つは、この事件が冤罪だったとすれば、埼玉県警は真犯人を検挙できていないことになる。捜査線上に少年が浮かんできたら、実質捜査はそこで止まってしまう。少年審判として家庭裁判所に送致してしまったら再審も再捜査もきかない。明らかに制度上の不備である。また、埼玉県警自体の事件に対する姿勢も問われる。
それにしても、昨年末の猪野しおりさんの刺殺事件といい、埼玉県警の捜査能力を疑わざるを得ない。
■天猜人誤(平成十二年二月七日)
<<子供を叱ろう>>
京都府警の不手際が非難されている。犯人を自殺させてしまったと。
では、犯人が逮捕されていたらどうなっていただろう。
犯罪の背景が検証され、起訴され、有罪が確定し、有期刑で10年、無期で20年程度で社会復帰するのである。決して死刑にはならない。
では、犯人が自殺であれ死んでくれた方が社会にとってはありがたかったのではないだろうか。あんなキチガイが同じ空気を吸っていると思っただけでもゾッとする。被害者の遺族にしてみれば自分でとどめを刺せなかったのが残念だろうか、犯人を死に追いやれただけ良かった。
犯行の背景が解らなくなってしまったとマスコミはいうが、そんなことはたかがしれている。必要以上に大げさに事件の背景を報道しなくていい。一匹のキチガイが起こした、ただの猟奇的事件だ。過去にも何度も発生しているふつうの事件。それ以上でもそれ以下でもない。背景を検証したってそこから導き出される対処は、「子供の目線にたって」とか「子供と共に」「自主性の尊重」などの、朝日新聞や日教組によってひたすらいわれ続けた愚民化政策だけである。あの連中は大人を子供レベルまで下げることしか言わない。そんなんじゃない。今必要なのは、子供を叱りつけることのできる分別のある立派な大人の存在だ。
これだけ多くの人間が暮らしていれば、こんなキチガイの一人や二人は発生することはやむおえない。しかし、そういったキチガイを少しでも減らすために、地域社会は子供が共有財産であることを自覚し、大人たちは子供を叱る責任と義務を認識しなければならない。
■天猜人誤(平成十二年二月六日)
<<子供から人権の剥奪を>>
京都の小学校二年生の男の子を惨殺したと思われる青年が自殺した。(警察発表)どいつもこいつもキチガイばかりの世の中になっちまった。
この男、21歳で大学受験勉強中だったそうだ。いったいいくつまで勉強したいんだ?ちっぽけなプライドのために、何浪してでも大学に行かなければならないという強迫観念に駆られていたのか。ばかばかしい。いい加減あきらめろよ。
挙げ句の果てに無抵抗の小学生を殺害する。親の顔がみてみたい。加害者が独立した家計を営んでいない場合は、その養育者も実名報道したらどうだ。その程度の責任と社会的制裁は受け止めてもらわないと、被害の割に合わない。いや、加害者の一族郎党皆殺しにしても、被害者の恨みがはれるものではないか。
それにしても、犯罪が幼稚で衝動的で凶悪になっている。
先日の調査では、日本の子供はほかの先進国に比べて圧倒的に親に注意されることが少ないという調査結果がでていた。そりゃ注意できんわな。子供が子供を育てているようなもんだ。いまの二十代後半から三十代の「親」たちも、その親からろくに注意もされてない。
テメーらのガキが学校で叱られようなもんなら学校に抗議する。体罰を加えられようものなら抗議しマスコミにも訴える。馬鹿な大新聞は正義面してくそガキの肩を持つ。
ガキに人権なんてねーよ。猿みたいなもんだから、分別のある大人が適切に叱り、導いてやらなきゃ立派な人間になるわけない。叱らない連中は、子供の未来の可能性を奪っていることにいい加減気づけ。
みんなみんな狂ってる。
■天猜人誤(平成十二年二月五日)
<<羞恥心のないおっさんたち>>
帰宅途中の電車の中、目の前に立っていたおっさんがスポーツ新聞のアダルト面を広げてにやにやしてやがった。
まったく気色悪い。
そんなものは、トイレの中でパンツずらしてチンチンさわりながら一人で読んでくれ。誰も文句は言わねーよ。
人目に付く所で、いい大人がそんな物広げるな。このバカが。
電車の中吊り広告でも、「衝撃のヘアヌード」とか「トイレ盗撮」とか、品性のない見出しが踊っている。こんな広告を出す連中や、こんな広告を受けるJR東日本は「羞恥心」がないのだろうか。ないんだったら早々に人間やめてくれ。うっとうしいだけだ。
ポルノや性風俗を根絶しろとは言わない。むしろ、そういった物は社会には必要であると考えている。しかし、人目に付くような所にでてくるな。電車の中やコンビニには、女性や子供だっている。そんなところに安易に出していい物ではないだろう。
性風俗は、アンダーグラウンドに隠し、分別のある大人だけの楽しみにすべきだ。
子供に見せるな。それを嫌と思う人に見せるな。公共の場所から閉め出せ。アングラな文化にし、大人だけが楽しめるようにしろ。
その分別のないやつは銃殺にしてやる。
■天猜人誤(平成十二年二月四日)
<<私刑の復活か死刑の強化を>>
先日、山口県光市で妻子を惨殺された男性がテレビに出ていた。加害者は未成年というだけで匿名になり、人権が保護される。マスコミが実名報道しよう物なら、自分の犯した罪は棚に上げて、少年法違反で人権侵害だと告訴する。全くむかつくったらありゃしない。
被害者の遺族にしてみれば、たとえ加害者が成人だろうと未成年であろうと、八つ裂きにして殺してやりたいと思っているに違いない。もちろん通常の絞首刑などではなく、じわじわと死の恐怖におびえさせ、肉体的精神的苦痛を極限まで味あわせてから殺してやりたいはずだ。加害者を育てた親も同罪だ。同じように殺してやりたい。そう思うのが当然だ。
しかし、近代法体系は「罰」から「復讐」の概念を消し去ってきた。「罰」は「復讐」の為ではなく加害者を矯正し、社会復帰させることが目的となっている。どこまで行っても加害者の為の法律である。少年法になると、この理念がますます持って強調される。
では、被害者とその遺族の人権は誰が守ってくれるのだろう。死人には人権など認められないのだろうか。
二月四日、ある事件の上告が棄却され、死刑が確定した。加害者は、二名の若い女性を強姦して無惨に殺している。
このような悲惨な事件が二度と起きないように、我々は真剣に考え、取り組まなければならない。
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