■天猜人誤(平成十二年三月二十日)
<<テロルを支持する朝日新聞>>
3/20のasahi.comに以下のような記事が載っていた。
| 「核兵器違法」を訴えて来日したアンジー・ゼルターさん 座り込みによる不退去罪、基地への侵入、兵器破壊などで逮捕歴は100回以上。自宅の電話は盗聴され、手紙は開封されて配達される。「気にしません。私たちの運動に隠すべきものは何もないから」。本人は極めて物静かだ。 昨年6月、英スコットランドの原子力潜水艦関連施設に仲間の女性2人とともに侵入。金づちで計器を破壊しながらも、地元の治安裁判所で完全無罪の判決を得て、議会や軍、防衛産業に大きな衝撃を与えた。 「確かに器物に損害を与えたが、被告は無差別殺りく兵器の配備や使用の阻止を国際法上の義務と考えた。一方、政府は核兵器の緊急性や合法性を説明していない」と判事は指摘、陪審員が同意した。 少女時代は軍隊にあこがれたことさえあったが、第2次大戦の殺りくを学び、哲学書を読みふけった。ユダヤ人だった夫の姉はパリでナチスに殺され、テロルに対して沈黙することの犯罪性を知った。 (以下略) |
朝日新聞はこのアンジー・ゼルターを「英雄」のように紹介している。この記事の中で「テロルに対して沈黙することの犯罪性を知った」とあるが、しかし、自分が反対する公共機関に不法に侵入し破壊活動を行うようなことをテロルと言うのではないのか。テロルに対抗するためにテロルというのなら、そこら辺にいるいわゆるテロリストと何が違うのだろうか。テロルに反対する朝日新聞様の記事とは思えない。それとも、朝日新聞の主張に反する団体や施設に対する暴力的破壊行為は許されるとでも思っているのか。もし思っているとすれば何という危険思想か。自分たちの主張に反対するものは暴力を使ってでも排除する。朝日新聞はファシストである。
我々はこの恐るべき団体・朝日新聞の活動を民主的平和的言論によってのみ対抗していても良いのだろうか。相手は自分の主張のためなら暴力も使うと公言しているに等しい連中である。このような危険な連中を排除するために、我々も言論以上に有効で実行力のある行動に出る必要があるのではないだろうか。
■天猜人誤(平成十二年三月十八日)
<<首都機能の早期分散を>>
先日、ウィークデイに自動車で東京都内に行った。世田谷付近から環状八号線に乗り、大宮方面に走った。ウィークデイの環状八号線の渋滞はすごいと聞いていたが、これほどまで車が進まないとは思ってもみなかった。
しかも、トラックが多いことから排気ガスがすごい。とてもではないが窓を開けて車を走らせることなどできなかった。それにも関わらず沿線には多くのマンションが建ち並び人が住んでいる。よくこのような環境で生きていける物だと感心してしまった。さらに、神奈川を出たときには雲一つない晴天だったにもかかわらず、環状八号線に乗ったとたんに曇ってきた。天気予報でも関東地方南部はすべて晴天だと言っていたはずなのにである。しかもぱらぱらと雨も降ってきた。しかしよく見ると、前後の空は曇っているにもかかわらず左右の空はなんと晴天なのである。つまり、晴天の空に環状八号線にそって雨雲が低くたれ込めているのだ。東京では環八雲と言って、気象条件によっては自動車の排気ガスの影響で環状線沿いに雲が発生することがあると聞いていたが、これがまさに環八雲であった。石原東京都知事が本腰をあげてディーゼル車の排ガス規制に乗り出したのもよく解る。
その日の目的は東京都内に用事があったのではなく埼玉に用事があった。しかし、神奈川から埼玉に行くためには東京都内の人口密集地を通らずに迂回する良い道が無く、どうしても環八を利用してしまう。高速道路の外回り環状線も半分ほど完成していない。これが完成していれば、神奈川方面から北関東や東北方面に抜けるための迂回路ができ、環状八号線の渋滞も幾分かは改善できるのだろう。
東京都内の渋滞がこれほどまでにひどいと言うことは、それに伴う経済的損失も莫大な物があると言うことだ。例えばA地点からB地点まで移動するために通常なら60分でいけるところが、渋滞のために120分かかったとしよう。そうすると渋滞のために60分間無駄に過ごしていることになる。一人当たり一日8時間の生産が4万円程度だと仮定すると、60分の損失と言うことは5000円の損失である。正確にはどれほどの損失が出ているのかは計算してみないと解らないが、渋滞にはまっている人が一日60分無駄に過ごしたとすれば5000円、それが渋滞にはまっている人数分発生する。これは莫大な金額になる。これから日本は少子高齢化の時代を迎え、今の生産力を維持するためには生産性の飛躍的向上が望まれるのにも関わらず、物流の足下がこの状態では先が思いやられる。
これほどまでの渋滞が発生している原因は2つである。ひとつは東京圏の交通インフラの不足。もう一つは、東京への一極集中である。
まず、東京圏の交通インフラの不足を検証してみよう。先述したが、高速道路の外回り環状線はまだ半分程度完成していない。用地買収すら殆ど進んでいないそうである。原因は地権者の反対と資金不足の両面だそうだ。しかし、外回り環状線の計画は今から40年近く前に策定されており、完成のめどがたっていないとはいえその予定地にある建物は建て替えや新築が法律によって厳しく制限されている。住民たちの住居も老朽化してきているが、法律によって建て替えの制限がされているため不便な生活を強いられている。住民たちも諦めて立ち退きに応じればよいのだが、もし応じたとしても資金難によってすぐには建設に着手できないのが現状のようだ。
しかし、首都圏の交通網整備が資金難等によって遅々として進んでいないのとは対照的に、地方ではどんどんと新規の高速道路が建設されている。予定では現在の高速道路の総延長の二倍もの高速道路を整備するそうである。たとえば、現在建設が進んでいる四国の高知市と足摺岬付近を結ぶ高速道路。これはどんなに甘い試算をしても、年間莫大な赤字を垂れ流すことがあらかじめ予測されている。で、その赤字分は他の黒字路線で浮いた利益を回して補填するのである。ちなみに東名高速道路などとっくの昔に建設費の償還は終わっている。当初の法律では、建設費の償還が住んだ時点でその交通費は無料にする約束だったのだが、その後の不透明ないきさつにより「料金プール制」というものが創設され、黒字分を地方の赤字路線の赤字穴埋めに使うことになった。われわれ首都圏に住むものたちの負担によって、地方の人間は殆ど誰も使わない赤字高速道路を造ってもらっているのである。ちなみに、道路公団は本来支払わなければならない固定資産税を、将来高速道路を無料にすると言うことを条件に支払っていない。こんな欺瞞が果たして許されて良い物だろうか。やつらは将来的にも高速道路を無料化することなど毛頭考えていないのである。
先日、四国の足摺岬あたりの漁協関係者が、とれたての鰹を大消費地に早く運ぶために一刻も早い高速道路の完成が望まれると言っていた。ずいぶんな物の言い方である。ではその立派な高速道路はどなた様のお金で造られ、鰹を運ぶために垂れ流される赤字はどなた様のお金で穴埋めされることになるのかよく考えて見ろ。どうしても鰹を大消費地に早く送りたいと言うことであれば、おまえらがおまえらのお金で高速道路を造ればよいではないか。その費用は鰹の値段に上乗せすればいい。一匹10万円以上になるだろうが、そのために高速道路が欲しいと言った代償はきっちり清算してもらう。
しかし、現実には都会の人間の支払った高速道路料金や郵便貯金は、誰も通らない地方の無駄な高速道路に消えていく。そのために首都圏の高速道路網の整備が遅れているのである。地方に高速道路を造ってもまったく生産に寄与しない。赤字を垂れ流し、GDPの足を引っ張るだけである。地方の高速道路整備は即座に中止し、現在運営中の赤字路線はパーキングエリア以外のサービスはすべて中止し合理化を図り、そして、高速道路料金の大幅な値上げによって赤字幅を圧縮する。そして東名高速道路などの黒字分は全て首都圏の高速道路網の整備に当てるのである。そうすることによって首都圏の渋滞は緩和され、経済活動から無駄な時間が大幅に取り除かれ生産性の向上、GDPの向上に非常に大きく寄与するのである。
次に東京への一極集中。これは検証するまでもない。抜本的な対策としては首都機能の分散しかないと思われるのだが、東京都や石原都知事は強硬に反対している。たしかに人口が減るようなことがあれば、東京都自体の財政や経済力に悪い影響を与える。しかし、日本の将来を見据えるならば、首都機能の分散を行い、東京の一極集中の是正を図らねばならない。例えば、東京都内に通勤している人の通勤時間は平均で50分から60分とのデータがある。ちなみに、人口50万人程度の地方都市の平均通勤時間は25分程度である。これが朝夕二回あるので、地方に比べて一日約一時間の損失になる。もし、この時間を何らかの生産に結びつけることができれば、それだけでGDPの大幅な向上が果たせる。不景気などもすぐに飛んでいくだろう。もちろん人口減少によって交通渋滞も緩和し、そのことによる全体的な経済効果も見逃せない。
いずれにせよ、東京は人が多すぎる。多いだけなら良いが、そのための弊害があちらこちらで噴出しているにもかかわらず、東京などの大都市圏の人間が支払っている高速道路料金や税金、郵便貯金が地方で無駄に使われ首都圏に効率的の投入されていない。これを抜本的に解決するためには、首都機能の分散と、地方での無駄遣いの是正を同時に、しかも劇的に行わなければならない。
■天猜人誤(平成十二年三月十六日)
<<新潟県警本部長:カラ減給処分?>>
14日のasahi.comに、「新潟県警本部長、減給処分受けず」といった内容の記事が載っていた。ほかのメディアも「カラ減給処分」などと揶揄する論調が目立った。
どういう事かというと、減給処分を受けた元新潟県警察本部長が給料日前に辞職したため実質的に減給処分を受けなかったということだ。
しかし、だから何だというんだ。たまたま辞職した日が給料日前だっただけの話ではないか。もし、だらだらと給料日後になってから辞表を出したとすれば「最後の給料だけはいただく。あさましい本部長」とか書き立てるくせに、すぐに辞めたら辞めたで「カラ減給処分」だそうだ。まったく、これらの記事からは、減給処分の命令は受けたが実際に処分が実行される前に辞任してしまったということ、つまり、実処分を免れたということに対する「妬み」しか読み取ることができない。マスコミ特有の「嫉妬根性」である。
本部長は、彼が行った行為に対して減給の処分を受け、その責任をとって辞任した。しかも、退職金も辞退している。確かに自らの怠慢な職務によって警察機構の権威を失墜させた責任は重い。であるからこそ、彼はできるだけ早く辞表を出し、しかも退職金も辞退したのである。マスコミ諸氏はこれでも処分がまだ甘いと騒いでいるが、まさか官官接待で温泉旅館において麻雀をしたからといって懲戒免職処分には出来まい。麻雀にしても、公式には一万円の図書券を景品にしていただけということであるし(これについては私も嘘だと思うが証拠がない。たとえあったとしても一万円くらいの掛け金であれば麻雀をする人ならだれしもかけるのではないだろうか。ちなみに朝日新聞地方支社の記者で、一晩に5万円以上平気で賭け麻雀をする特定の人物の話も良く耳にする)
つまり、法的にこの本部長へこれ以上厳しい処分を下すことは不可能である。もし、マスコミの論調に左右されて賞罰が左右されるようなことがあれば、法治国家の根幹に関わることだ。
元新潟県警本部長が行った怠慢な仕事ぶりは非難されて当然である。その結果、減給という処分が下されそれに伴い辞任し退職金も辞退した。このことにおいては、何ら責められることはないのではないだろうか。他の警察幹部にも良い薬になったのではないだろうか。接待麻雀をしただけでも辞任に追い込まれるということがわかったに違いない。
朝日新聞は公的組織の役職にある者であれば、すべて悪役、人民の敵に仕立て上げ糾弾する。民主主義と平等をうたいながら階級によって差別する。まったく見苦しい限りだ。
■天猜人誤(平成十二年三月十四日)
<<憲法に求める物>>
憲法調査会で憲法論議が進んでいる。今までは憲法について語ることすらタブーとされてきたのだが、随分進歩した物だと感心してしまう。
しかし、残念ながらその論議の内容を見れば実は何十年も前の主張をただ傷の入ったレコードのように繰り返しているだけにすぎないことに気づく。
まず、自民党系の保守派はもちろん改憲。自衛隊の軍隊への昇格を目指す。そして社会党と共産党は相変わらず護憲。民主党だけが従来にない「論憲」などと言う言葉を持ち出して、公明党もこれに乗ろうとしている。
そして相も変わらず朝日新聞と自称進歩的文化人は護憲護憲と叫ぶ。
しかしどうしてサヨクの連中はアメリカ様から頂いた憲法がそんなに大事なのだろう。いつもは反米の立場に立っているにもかかわらず、こと憲法に関しては親米の立場に立つ。全く理解の範疇を越えた連中だ。
朝日新聞は護憲の立場であり、それと同時に自衛隊にも反対している。もちろん駐留米軍にも反対している。しかし、いわゆる「憲法の拡大解釈」によって、日本は自衛隊という軍隊を持っているし、アメリカ軍の駐留を許している。朝日新聞に言わせればこれは憲法の精神に反しているというのだろうが、現実に現行憲法下の法律によって効力を発しているのである。つまり、現行憲法はこのような「憲法の精神に反すること」を許してしまっている。
であるならば、憲法を改正して自衛のための武器も持たないし日本国民が拉致されても文句を言わない。もちろん外国軍隊の駐留も認めないし、世界のどこかで小国が侵略を受けても文句を言うだけで実行力のある行動はいっさいしないと言った憲法に改正するという方法もとれる。進歩的文化人は護憲の言葉が焼き付いてしまってそういったところまで頭が回っていないのだろう。完全に思考が停止してしまっている。
自由党などは、憲法の成立の手続き自体に問題があると主張する。外国の占領下で、軍事的恫喝のもと成立した憲法は無効であると主張する。
しかし、現行憲法が帝国憲法の改正条項の手続きに従って改正されたのも事実である。たとえ銃を突きつけられていたとしても、実際に国会議員の賛成多数によって可決されてしまったのである。
もしこれをアメリカ軍の強制だと言ってしまうことは、朝鮮が日本と併合したのも日本の侵略によるものであると言っているのと同じである。
ちなみに、筆者の歴史解釈では、日本は朝鮮を侵略してはいない(豊臣秀吉をのぞいて)。その証拠に朝鮮政府軍とは全く武力衝突は起こっていないのである。
確かに朝鮮併合の時、日本は武力によって朝鮮を恫喝していた。しかし、最終的に朝鮮が日本に併合されることを決めたのは朝鮮人自身である。日本と朝鮮は、国際的に十分に効力のある条約によってひとつの国になった。常識的にはこれを侵略とは言わない。
朝鮮併合の話を持ち出すと、朝日新聞や朝鮮人どもが気が狂ったかのように怒り冷静な判断力を失う。しかし、朝鮮人自ら”犬”となって生き延びることを当時決意したのである。そこにはプライドもくそもない。ただ自己保身と負け犬根性があっただけなのだ。これについては後日改めて述べよう。
もし私が朝鮮併合当時朝鮮人であったなら、爆弾を抱えて日本総督府に押し入り自爆していただろう。もし、現行憲法成立時に国会議員であったなら、やはり爆弾を抱えてGHQに殴り込み、マッカーサーを道連れに自爆していた。戦争に負けるだけならまだしも、その後に憲法という国民の”精神”まで踏みにじられようとしているのである。こんなことはとうてい許すことはできない。私はこの命に代えても阻止しただろう。もし、阻止できなかったとしても、私の行動は歴史に残る。そして、私の意志を継いでくれる次世代の若者が出てくるかもしれない。何もしないまま、祖国が蹂躙されるのも見過ごすわけには行かない。
しかし、当時の国民の代表たる国会議員は、このアメリカ様から頂いた憲法を無批判に受け入れてしまったのである。ああ、なんと情けないことか。
もし、現行憲法を改正するとすれば、以下の項目は譲ることはできない。
・国称は”大日本帝国”
・天皇は大日本帝国の元首であり主権者である
・天皇は神聖にして絶対に不可侵である
・帝国は国民の生命と財産を守るための軍事力を持つ
・帝国の国土の範囲
帝国は択捉島以南の千島列島と、樺太の南部、竹島と尖閣諸島の領有を宣言する
以上は絶対に譲歩することはできない基本的な要求である。といっても、ここまで踏み込んだ議論は絶対にないであろう。なぜなら憲法調査会には、最も重要な物が欠如している。
現在の調査会の議論を見ていると、現行憲法の内容が世界情勢に会わなくなってきたといったことを改正理由にすることが最も多い。しかし、憲法という物は国民からの要求ではなく、外国の情勢によって改正される物なのだろうか。いや、違うはずである。憲法とは国民のためにあり、国民の要求によってのみ改正されるのではなかろうか。であるならば、何にも増してこの国をどのような国にしていきたいのかと言うことが論議されなければならない。つまり、この国のあり方である。
この国には、今一番何が足りないのだろうか。私は自信を持って”誇り”であると断言できる。この国に真に誇りを持っている人は悪いことはできない(暴力団と結託している連中はのぞく)。人から後ろ指を指されるようなこともできない。それは国家を誇りに思い、又自分自身が国家に対して責任があると感じているからに他ならない。一人一人が国家に誇りと責任を持つことで、この国は少しずつ良くなっていくのではないだろうか。
■天猜人誤(平成十二年三月十三日)
<<新聞拡張員革命>>
昨夜、朝日新聞の拡張員(新聞の拡販の為に各家庭を回っている外交員。正社員は少なく、ほとんどが契約社員)が我が家を訪れた。通常であればインターフォンで断りを入れるのだが、昨夜は迂闊にもドアを開けてしまったのだ。
ピンポーン。インターフォンのチャイムが鳴る。私がインターフォンの受話器を取って応対するとその男性は「お届け物です」と言った。ああ、宅急便の人だ、と思って印鑑を用意しドアを開けた。
「毎度ご購読いただきありがとうございます。朝日新聞です。」
は?。おまえ今「お届け物です」って言っただろ!!と突っ込みを入れてやろうかとも思ったが、そんなことで不快感をあらわにしていては文明人として恥なので、とりあえず話を聞くことにした。
「今度この地域の担当になりましたのでご挨拶に参りました。朝日新聞をご購読いただきありがとうございます。」
なかなか礼儀はわきまえているおっさんだ。しかし、もちろん私は朝日新聞などとっていない。
「いえ、私は御社の新聞はとらさせてはいただいておりませんが。」
朝日新聞の関係者だからといって、初対面の相手に無礼があっては文明人の恥なのでとりあえず丁寧な口調で答えた。
「あ、そうでしたか。では読売新聞をとっていらっしゃるんでしょうか。以前朝日新聞をとっていらっしゃいましたでしょうか。」と聞き返してきた。
おそらくマニュアル通りなのだろう。そういえば、先月来た朝日新聞の拡張員は最初から朝日新聞の者と名乗って、「読売新聞をおとりだと思いますが・・・」と切り出してきた。ということは、我が家が朝日新聞をとっていないと言うことはデータに残っているはずである。にもかかわらず、この拡張員は「朝日新聞をご購読いただきありがとうございます」と言ってきた。ただ、データを確認しなかっただけなのであろうか。それとも、朝日新聞をとっていないと知っていてこのように言ったのだろうか。
「最近引っ越してきたので、前の人がとっていたかもしれませんが、私は新聞はとっておりません。」と答えた。すると、
「そうでしたか、失礼いたしました。では是非とも朝日新聞をとっていただけないでしょうか。短期間でも結構です。」と、その手に商品券を数枚持ち出した。
ああ、この商品券が「お届け物」だったのか・・・・。しかし私はきっぱりと答えた。
「申し訳ないのですが、インターネットで新聞を購読しておりますのでペーパーは必要ありません。チラシも必要ありません。」
「そうですか。それでは粗品ですが・・」と持っていた商品券を渡そうとする。思ったよりあきらめが早いし気前もいい。
「いえ、そのような物を受け取るわけには参りません。」しかし、少し心が揺れた。
「そうですか、それでは失礼いたします。」
ミョーにあっさりしている。これほどすぐに引き下がられると何か裏があるのではないかと疑ってしまう。いつぞやは、インターフォンに妻がでてしまいなかなか断れずにいたため私が代わって「私は右翼の活動をしておりますので御社の新聞だけはとらせていただくことはできません。」と言ったくらいだ。
よその家では読売新聞の拡張員もよく来るとのことだが、我が家には朝日新聞の拡張員しか来たことがない。しかし、仕事熱心なのはいいが夜8時を回ってくるのは止めてほしい。こちらにも都合がある。たぶんノルマがきついのだろう。新聞の拡張員はだいたい仕事を転々としている人が多いらしい。やはりノルマがきついせいか。夜遅くまで一軒一軒家を回って門前払いを食らって・・・。そんなことを考えると拡張員の人は虐げられていると思えてくる。いい年をした中年男性が圧倒的に多いので、おそらく妻子を抱えて生活も苦しいに違いない。しかもノルマに追われて・・・その苦労は察するにあまりある。
朝日新聞の記者の給与は、普通の一般企業のそれよりも幾分かは多いくらいだ。まあ、大きい企業並と言ったところか。しかし、朝日新聞が日本で最大級840万部の発行部数を誇っていられるのも、こういった末端の拡張員のお陰なのではないのだろうか。まさか、朝日新聞の論調に同調して購入している人がそれほど多くいるとは思えない。ほとんどの購読者はノンポリで、こういった拡張員に押されて購読しているはずである。ということは、朝日新聞はこういった末端の拡張員から”搾取”して成り立っている企業である。これは驚いた。”搾取”をもっとも忌み嫌い否定してきた大新聞が、自分の足下でこんな搾取を繰り返していたのだ。確かに末端の拡張員はどれも学のない顔をしている。もちろん「資本論」など読んだことはないのだろう。それをいいことに朝日新聞はこれまで彼らから搾取してきたのである。
さあ、拡張員同志諸君よ!!立ち上がるときは今だ!!君たちは大資本”朝日新聞”に搾取され続けてきたのだ。今こそ立ち上がり、すべての拡張員同志は連帯し朝日新聞体制を打倒し、君たちの権利を取り戻すのだ。朝日新聞は弱者と労働者の味方である。君たちが行動を起こせばきっと自分たちの行いの非道さに気づき、悔悛の涙に暮れ自己批判することだろう。
民盟書房刊 「拡張員革命記〜序章」 より抜粋
■天猜人誤(平成十二年三月十日)
<<五十五回目の東京大空襲の日>>
東京大空襲から55年が過ぎた。昭和二十年三月十日未明、サイパン島を出撃したアメリカ軍のB29戦略爆撃機300機あまりが東京都墨田区一帯を爆撃した。
爆撃目標は民家。殺傷対象は銃後の女子供だった。当初の計画では墨田区の両端を直線状に爆撃し「火の道」をつくり、この火の道によって墨田区の住民を逃げられないようにし、そこへありったけの焼夷弾を投下する計画だった。最初から軍需生産性の低下等を目的としているのではなく、女子供の虐殺を目的とした残虐極まりない作戦であった。
しかし、作戦とは予定通りにはいかないもので、折からの強風にあおられて焼夷弾は流され、火の道を造ることはできなかった。しかし、その強風のため、発生した火災は予想以上に燃え広がり一夜にして10万人以上の都民が虐殺されたのである。
東京大空襲の後の写真を見たことがあるだろうか。体を丸めたマネキンの焼け残りのような物体が山積みにされている。小さいものは完全に手足が焼けて無くなっており、かろうじて胴体と頭部だけが識別できる。熱かっただろう。恐ろしかったであろう。悔しかったであろう。多くの若い男は出征し、そこに残っていたのは女子供と老人ばかりであった。劫火に焼かれながら母親は、子供だけは助けたい。いや助けてほしいと懇願した。しかし、残虐非道なアメリカ人にその願いは届くことは決してなかった。
戦争で、無抵抗の女子供に銃口を突きつけて引き金を引けば犯罪である。では、そこに無抵抗の女子供しかいないと分かっているにもかかわらず絨毯爆撃をするのは犯罪ではないのであろうか。
人類の歴史上、当初より民間人を目的とした爆撃を行ったのはアメリカとドイツしかない。ドイツはスペインのゲルニカを第二次世界大戦前に爆撃している。イギリスも爆撃している。しかし、これは戦略爆撃機によるものではなく、小型爆撃機による限定的な爆撃であった。ただ、目標が軍事拠点ではなく民間人地区であったのだ。アメリカの無差別爆撃は枚挙にいとまがない。ドイツ攻略のためにミュンヘンを始め多くの都市を無差別に爆撃している。爆撃機はほとんどがB17を中心とするアメリカ軍であったが、一部イギリス軍も含まれていたので、イギリスも無差別爆撃をしているといえなくもない。しかし、計画をしたのはアメリカだ。そして、ついに日本本土にアメリカの魔の手が伸びてきた。東京大空襲を手始めに、ほぼ、人口の多い順に都市を爆撃していった。そして最後に「広島」「長崎」である。この爆撃により、本土で100万人もの女子供が虐殺された。
世の中には戦時国際法というものがある。これは、戦争をする際のルールを定めたものだ。戦争というものは、国家と国家の力のぶつかり合いであり、さけることができない場合がある。であるならば、戦争を避けることができなくても、そこで繰り広げられる残虐行為を無くするように努力しようというのがこの国際法の意義である。この中にはもちろん、上記のような女子供を目標とした無差別爆撃は堅く禁止されている。アメリカは明らかに国際法違反を“組織的”に行っていたのだ。
大東亜戦争といえばいつも日本が悪役にされる。まあ、戦争に負けたのだから仕方がないのだが、同じ日本人の中にも現実に目をつむり、アメリカや支那、朝鮮に迎合して日本を非難する勢力がある。朝日新聞と日教組だ。
大東亜戦争で多くの日本人将兵が戦争犯罪に問われて処分された。A級戦犯として絞首刑にされた方々もいる。しかし、A級戦犯を除けば、“組織的”な戦争犯罪で罰せられた例は一つもないのである。A級戦犯にしても、個々の戦時国際法違反を問われたのではなく、この戦争を始めたという“共同謀議”の罪により罰せられている。つまり、戦争を始めたこと自体が犯罪だというのだ。
まったくばかばかしい限りである。それまでは好き勝手に戦争を引き起こしてきた連中が、ある日突然戦争自体が“犯罪”であると言ってきた。今までにそんな法律はない。戦争自体が禁止された試しもない。それにも関わらず戦後になってから“平和に対する罪”とか適当に法律らしいものを作りそれによって敗戦国を罰した。ニュルンベルグ裁判や東京裁判はとても裁判などと呼べるものではなかった。あれは戦勝国による“リンチ”である。人間がその英知を持って長い時間をかけてこの非文明的な行為を禁止してきたにもかかわらず、戦勝国はこの人間の英知を真っ向から踏みにじったのだ。
朝鮮、アメリカ、イギリス、オランダ等で、大東亜戦争当時日本軍によって強制労働させられたり虐待を受けたとして賠償訴訟が発生している。その総額は100兆円を超えるというのだから始末に負えない。通常、戦争行為に対して個人は敵国に対し何らの請求権を持たないというのが、慣例となってきた。もちろん成文化こそされてはいないが、この原則に則って国家間の賠償や和平条約が締結されてきたのである。今また、戦勝国(朝鮮は戦勝国ではないが・・)の身勝手な行為によって覆されようとしている。
我々は、この身勝手な振る舞いを許しているわけにはいかない。もし、朝日新聞や日教組のように、どうしても賠償したいというのであれば、彼らの私財から賠償してくれればいいのではないか。個人的に賠償したいと言うことまで妨害しようとは思わない。しかし、国家としての戦後処理はすでに完了しているのだ。戦勝国に対抗して、アメリカの無差別爆撃で殺された人々も訴訟を起こすべきだという声が挙がっているが、これには賛同しかねる。相手が非文明的な手段を執ってきたからと言って、我々もレベルを下げ、非文明人と同じ行動をするということはプライドが許さない。賠償問題に関してはすでに条約等で決着しているのである。しかし、条約には盛り込まれてはいない“道義”的部分において、アメリカの非道を明らかにする必要はある。彼らはネイティブアメリカンの血を吸い、ハワイ人の血を吸い、フィリピン人の血を吸い、そして日本人の血を吸って超大国になった。そして、そのことを“誇り”に思っている獣のような連中だ。この獣を文明によって教化し、自らの不明と無知を自覚させ、悔悛の涙に暮れるまで我々はこの獣たちを許さない。
■天猜人誤(平成十二年三月五日)
<<銃社会。病めるアメリカ>>
先日、アメリカで小学一年生の男子生徒が、拳銃で同級生の女の子を射殺する事件が発生した。実にアメリカらしい事件である。この男子生徒は、その保護者である叔父の部屋から拳銃を持ち出していた。しかもその拳銃は叔父が盗んできていた物であった。
このように悲惨な事件が何度発生しても、アメリカでは抜本的な銃規制には結びつかない。銃を持つことは国民の権利だとか自由の証だとか自衛のためだとか、色々と全米ライフル協会が並べ立てて政治家に圧力をかけて銃規制に反対している。
銃を持つことが国民の権利で自衛のために必要だというのはどういうことであろうか。ちなみに、日本では国民の生命財産は法律によって守られる。そのために警察機構が存在し、国民一人一人が銃によって武装する必要性は全くない。それが「法治国家」のあり方である。
アメリカでは国民の生命財産を法律は守ってくれないらしい。個人が銃で武装しないと安全を守ることはできないと言う。これでは少なくとも現代で言うところの「法治国家」とは言い難いのではないだろうか。
何年か前、日本人留学生がアメリカで射殺されるという事件が発生した。当時高校生だった「ハットリ」くんが、ハロウィンの仮装をして友人宅を訪れた。しかし、友人宅だったと思った家は実は違う家で、しかもその家人はベトナム帰りの元軍人で銃火器の愛好家だった。
ハットリ君は至近距離で顔面に44口径のマグナム弾を喰らった。痛いと感じる時間もなかっただろう。弾丸はハットリ君の顔面ほぼ中央に当たり、頭の中で弾丸ははじけ脳味噌をかき回しながら後頭部に抜けた。弾丸の当たった顔の前面には1.5センチ程度の穴があき、弾丸の抜けた頭後ろ半分は吹き飛んでいたという。
ハットリ君はアメリカに憧れていたという。父親の影響もあったらしいが、小さい頃からアメリカに憧れて、高校生になったときにアメリカ留学に行ったのである。彼が殺された後、彼の父親は銃規制のための運動に参加している。この悲劇を二度と繰り返さないために。しかし、銃による犠牲者は後を絶たない。
筆者にはこの父親の気持ちが理解できない。銃規制のための運動に参加することも理解に苦しむ。この父親はアメリカびいきで、その影響で「ハットリ」くんはアメリカに憧れるようになった。そして父親に勧められてかどうかは分からないが、父親の同意を得てアメリカに渡った。そして、もっともアメリカらしい方法で殺されたのである。
法治国家でもなく野蛮人しか住んでいないアメリカに憧れて、そしてアメリカに渡りもっともアメリカ的な方法で殺された。おそらくこの「ハットリ」くんは本望だったに違いない。至福の瞬間の中で絶命したことだろう。それなのにこの父親は、アメリカを愛してやまなかった「ハットリ」くんの気持ちを踏みにじろうとしている。アメリカとは、国民が銃を持ち個人の安全は個人の武力によって守らなければならない原始的な国家なのだから。
■天猜人誤(平成十二年三月三日)
<<抜本的な少子化対策を>>
我が国の少子高齢化は世界に類を見ないほど著しい。女性の社会進出に伴って育児に時間を割くことができなくなり、また豊かな生活になれてしまい、子供ができたときに収入が減ることをおそれ子供を産まなくなってしまった。また、極端な晩婚化がそれに拍車をかけている。
「子供は国の宝」である。国家の次世代を担うための重要な人材だ。少子化対策は国民をあげて対策を講じなければならない。
子供を持つ親はそのために収入が減り、また、子供のために出費が要求される。つまり、子供を持つ人はその身銭を切って次世代の日本を背負う人材を育て、子供を持たない人は次世代に責任を持つことなくその日だけを謳歌している。あまりに無責任であるといわざるを得ない。
少子化の対策として育児手当や保育施設、会社の受け入れ態勢の充実が叫ばれている。しかし、果たしてこれらの対策が効果を上げているのだろうか。
二人の子供を持つ友人がこう言っていた。「三人目がほしいけど、出産費用だけで何十万円もいるから二人でやめとくよ」子供が欲しいと思っているのに経済的な理由であきらめざるを得ないのは残念な限りである。
いまこそ、「子供を産めば豊かになる」社会を実現しなければならない。まず、子供を産めば一時金として100万円程度支給する。そして、子供の養育費に月5万円程度、中学校を卒業するまで支給するのである。その財源は、もちろん子供のいない人たちに負担してもらう。子供のいない30歳以上の人からは一律月5万円の税金もしくは保険料を徴収する。その金額は年々増加させ、子供を持つまで払い続けてもらう。もちろん、不妊治療を受けている人や、子供がいたが不慮の事故等で死亡したケースは例外とする。不公平の生まれないように詳細に調査し、制度をまとめなければならない。
こうすれば少子化問題などすぐに解消できる。子供を産めば豊かになり、子供を持たなければ相応の負担をしてもらうのである。
■天猜人誤(平成十二年三月二日)
<<感情的になることの危険性>>
警察幹部の不祥事に絡んで、田中警察庁長官が処分された。幹部の不祥事で警察のトップが処分されるのはこれが初めてである。この処分の元となった事件では、新潟県警本部長と中田関東管区局長が辞任している。処分は減給であった。
この本部長と局長が辞任するに当たってそれぞれ3000万円ずつくらいの退職金が支給されるが、これが国民的な非難を浴びて両名は本日退職金の辞退を申し出た。
確かに、この本部長と局長は処分されるべきであったであろう。本来の職務をないがしろにし、温泉旅館で麻雀をしていたのだ。そのことに対して減給処分額だったことは至極当然であると思われる。マスコミの中には「処分が甘い」と世論をあおり立て誘導しているものも見受けられるが、果たしてそれは妥当だろうか。
もちろん、警察の責任重大なポストにあるものが職務をないがしろにしていいわけではない。しかし、だからといってその程度で懲戒免職にできるものであろうか。今回この二人は刑法に触れるようなことはしていない。もちろん服務規程は公務員法には違反するだろうか、しかし、そんな公務員はごまんといる。飲酒運転をしても高知県以外では辞めさせられることはないし、公務員の99%は職務規程に違反することを行っている。なにより、公務員の95%は能無しで税金泥棒だ。
何年か前、空出張で裏金を作り残業手当や職場の備品を購入する資金に充てていたことが発覚して話題になったことがあった。それも一つや二つの都道府県ではなく、多くの都道府県や市町村で行われていたのである。まったく、公務員の堕落ここに極まれりといった感じだ。しかし、この空出張に関して処分された人間が果たしてどれほどいただろうか。
殆どの場合、空出張で捻出した金額をその自治体の役付のものが肩代わりし弁済することでお茶を濁している。あとは責任者への訓告と減給程度であった。では、空出張問題はその程度の処分で済むものだったのだろうか。答えは「否」である。
まず、出張したと虚偽の報告を行っている。報告は文書で行い決済するので、その文書を偽造したことになる。これは「公文書偽造」の刑事罰である。そして、その偽造した文書で公金を引き出し別の目的に使っている。職場の備品を購入したというのであれば百歩譲って許すとしても、残業代に充てているケースもあった。これは明らかに不当な利益である。つまり、「業務上横領」の刑事罰だ。それも「公金横領」である。通常その罪で捕まれば実刑は間違いない。また、偽造した文書で地方自治体の出納課をだましているので「詐欺」も成立する。
私の記憶に間違いなければ、この空出張問題に関わった公務員は全部で5000人を超えていたはずである。道徳的、刑事的に見てもこれらの公務員の方が二人の警察幹部より遙かに悪どいといえる。しかし、この空出張問題が発覚したときにマスコミは、こぞってその首長や責任者を糾弾したが、末端の公務員を矢面に立たせることはしなかった。しかし、現実にその「犯罪」を行っていたのは末端の下級公務員である。本来ならこれらの人間を処分するべきであった。
自治体の経営が悪化し、公務員のリストラが叫ばれていた頃でもあったしいい機会であったのに惜しいことをした。私がその自治体の首長であったら間違いなく関係者全員懲戒免職にしていただろう。もちろん刑事告訴もして、殆ど全員に有罪判決が言い渡し、その中で主導的立場にあった人間は例外なく豚箱にぶち込んでやったことだろう。
何度も言うが、決して警察幹部を甘やかしているわけではない。警察幹部であれば一般の公務員以上に倫理が求められて当然である。しかし、その職務を監視し、懲戒など与える基準となるものは「法規・法律」でなければならない。今回のようにクローズアップされ国民的な批判が高まれば重い罰を与え、刑法に明らかに違反をしていながらマスコミがかき立てないことによって目立たなかった下級公務員が処分されないと言うのは明らかに不公平であり不正義である。我々は法治国家に生きている以上、法によってのみ裁かれるのである。
権力者には不正義のレッテルを貼り、末端の下級公務員(労働者)にはそれが犯罪者であろうと擁護する朝日新聞の論調を真に受けてはならない。
■天猜人誤(平成十二年二月二十九日)
<<死刑判決基準の見直しを>>
二月二十八日、ある殺人犯に死刑判決が下された。今から10年ほど前に女性を強姦し傷害を負わせた罪で7年間服役し、出所して二ヶ月目にその女性を殺害した。この男は服役中から被害者の女性に対して復讐を決意しており、全く反省の色がなかった。
今回の事件では、殺された被害者が一名だけであったにもかかわらず死刑判決が下された。もっとも、被告側は抗告するだろうからまだ確定ではない。昨年暮れには埼玉県で主婦を強姦し殺した被告が死刑の判決を覆されて無期懲役が確定してることもあり、今回の犯人が死刑台に上るかどうかはまだ分からない。
最高裁の判例で、死刑にせざるを得ない場合の基準がいくつか設けられている(最高裁昭和五六年(あ)第一五〇五号同五八年七月八日第二小法廷判決・刑集三七巻六号六〇九頁参照)。この基準に当てはめると、よっぽどの極悪人でなければ最終的に死刑になることはない。最高裁で検察の上告が棄却され無期懲役が確定した事件についての判例の多くは以下の文章でくくられている。
「被告人を無期懲役刑に処した原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められない。」
つまり、この被告を死刑にしなければ確かに正義には反するが、それは大したことではないと最高裁は言っているのである。最高裁はこの判例の中で、自らの判決を「正義に反している」と認めているのである。
本当にこんな事でいいのか。最高裁が自らの判決を正義に反しているとまで言っているのにも関わらず被告を死刑にしない。何ら落ち度のない主婦の手足を縛り、無抵抗な状態にして強姦し、その後「千枚通し」や「包丁(牛刀)」で何十回も刺して殺し現金を奪っても、被害者が一名であり、犯行に計画性がないことから無期の判決を出している。この男を死刑にしないのは著しく正義に反しているのではないか。著しかろうとそうでなかろうと、こんな男を生かしておく意味はどこにあるのだろうか。無期懲役と言うことは、この男が出所するまでの生活費をすべて国民の税金でまかなうと言うことである。我々はこんな凶悪犯の為に税金を納めているのか。まったくヘドがでるほどむかつく。
今こそ、死刑判決の基準を見直すときに来ている。営利快楽目的で人を殺害した場合は例外なく死刑にする。最高刑が無期懲役の犯罪を二件以上重ねた場合は死刑にするなどの法改正も考えるべきである。また、本人だけでなく、その犯罪によって新たな犯罪を誘発させるような犯罪も死刑の対象にすべきである。例えば、薬物の密輸密売等。薬物によって年間多くの人命が失われている。つい先日も、シンナーでラリッたガキが幼児を刺し殺して18年の懲役を言い渡されていたが、その少年がシンナーを入手することができなければこの犯罪は起こらなかったかもしれない。法令で禁止されている薬物を密輸密売した場合は例外なく死刑にすべきだ。
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