平成十二年二月四日〜二月十三日まで


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■《天声人語批評》(2000/02/13天声人語より)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/13:より引用》

 エーリヒ・ケストナー作、高橋健二訳の『飛ぶ教室』に出あったのは、半世紀近く前の小学生のころだった。『エーミールと探偵たち』がそれに続く。

 以来ケストナーの児童文学は、ほかにも名訳が数々あるのに、高橋訳でないと読んだ気にならない。シャーロック・ホームズもそうだ。友人の医師を「ワトスン」と呼ぶか、「ワトスン君」か。延原謙訳になじんだ当方は、やはり「ワトスン君」がしっくりくる。

 外国語を解しない身にとって、頼りは翻訳。出来次第で、原著を好きにも嫌いにもなる。頭に描く登場人物の姿かたちも、左右される。それほど大切な翻訳の最近のヒットは、『ハリー・ポッターと賢者の石』(J・K・ローリング作、松岡佑子訳、静山社)ではなかろうか。

 両親を失ったハリーに、魔法学校から入学許可証が届く。ロンドンのキングス・クロス駅9と3/4番線から出る汽車に乗って学校へ……。わくわくする筋立ての大冊(462ページ)の児童文学だが、情景描写や会話の魅力的な日本語が、いっそう想像力をかき立てる。

 〈イーロップふくろう百貨店は、暗くてバタバタと羽音がし、宝石のように輝く目があちらこちらでパチクリしていた〉〈古い椅子(いす)がバキバキと大きな音をたて〉〈頬(ほほ)にちょこっとキスして〉。あるいは「ウワーヮヮヮァァァァァ!」という驚きの声。

 松岡さん(56)は同時通訳の達人。亡くなった夫の小さな出版社を引き継ぎ、英国に出かけ原作者にじか当たりして出版権を得た。本格的な翻訳は初めてで、10カ月かかったそうだ。たまたま話を聞く機会があったが、なかでも印象に残ったせりふ。

 「原著を徹夜で読んで心からほれて。日本語が浮かんでくるんです。私が訳したい、ほかの人でなく、自分の感覚で。痛切にそう思いました」。いまベストセラーの最上位。その秘密の一端がわかる気がする。

今日はコメントなし。朝日新聞にしては害毒のない天声人語でした。


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■《天声人語批評》(2000/02/12天声人語より)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/12:より引用》

 駆け出し記者のころ、〈複雑な表情〉と原稿に書いて、先輩にしかられた。「複雑な表情とはどんな表情だ。説明してみろ」。

 言われてみるとそのとおり。どうやら、あいまいな言い方、いい加減な表現のようなのである。でも、と考え直す。あれでもないがこれでもないといった、いわく言い難い微妙な気分というのはあるもので、それを「複雑な表情」と称するのではないか。そう言いかけたが、先輩の怖い顔を見て思いとどまった。

 けれども、ときにこの「禁じ手」のことばを使いたくなることがある。きのう、中央官庁の課長を務める友人と電話していて、ふと、彼はいま「複雑な表情」をしているのではないか、と思った。先ごろ明らかにされた「国家公務員倫理規定」の原案が話題だった。

 4月に施行される国家公務員倫理法に伴って、公務員が企業など利害関係者とどう付き合うべきかが定められている。たとえば、夜の会食、ゴルフ、旅行は「割り勘」でも禁止。せんべつや香典、金銭や物品を受け取るのも厳しく禁じられる。

 以下、電話の向こうの彼のつぶやき。「いや、まったく正論。ノーパンしゃぶしゃぶなんて、ひどすぎましたもんね。みんな、いま気持ちを引き締めてます」「……ですけど、地方の出先機関の勤務者なんかつらいと思いますよ。昼は会議、夕方から懇親会というスタイルが一般的でしょ。こっ
ちは懇親会が始まる前に失礼しなきゃいけない」。

 「ところが、地方の人の本音は、会議よりも懇親会で出るんですよね。ほかにも現実に仕事してると、付き合いの部分が混じってくる。新年の名刺交換パーティーなんか、どんな扱いになるんでしょう」「積極的な仕事をするな、って感じもあるなあ。何もしなければ、規定には触れないわけで
すから」。

 「いや、正論に反論する気なんかありません。全然なし」


 今日の天声人語は、朝日新聞にしては論点の今一つはっきりしない内容だった。何が言いたかったんだろう。

 友人の官僚の愚痴を聞いて、友人の言うことはもっともだと思ったのだろうか。それとも、役人の仕事に名刺交換会や懇親会は必要ないと思ったのだろうか。

 どこの世界にも仕事上の付き合いはある。その中には、仕事を有利に運ぶために行うものもあれば、ただ単に気が合っただけの付き合いもあるだろう。利害関係がなければ問題ないのだろうが、まったくない関係というのも少なそうだ。たとえ利害関係があっても、それを意識しなければいいじゃないかという声も聞こえてきそうだが、世間はそのように見てくれない。

 しかし、懇親会のほうが本音が出るというのもおかしな話だ。確かに日本的ではあるが、そろそろそういう悪習から卒業してもいいのではないかと思う。

 筆者も民間企業の会社員なのだが、仕事上で同業他社や取引先の関係者と打ち合わせや折衝を行う機会がある。しかし、今まで一度も接待などしたことはないし接待を受けたこともない。そのようなことをしなくても、十分に仕事はできる。

 民間企業でも、そのような接待や懇親会が全くないかといえばそうでもあるまい。しかし、役人に対してはよく接待や懇親会の話を聞く。知り合いの低級役人も年末になれば関係団体から忘年会の誘いで大変だそうである。むげに断るわけにも行かないし、さりとて誘いにのって参加しても会費を負担してもらうわけには行かないし。法律で公務員との飲食を禁止してくれれば楽になるともらしていた。

 もちろん、倫理規定や法律によって禁止するのも方法の一つである。しかし、本来は自発的に、懇親会の席ではなく、通常の会議室で真剣な駆け引きを行うことのできるよう、体質を改善しなければならない。

 *天声人語批評にならなかった・・・・


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■《天声人語批評》(2000/02/11天声人語より)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/11:より引用》

 郊外を走る昼の電車。数人の若い母親が、ペチャクチャやっている。幼稚園児くらいだろうか、彼女らの子どもたちが靴のまま、がらがらの座席の上を走り回っている。

 反対側の座席には、中年の女性だけ。苦々しい顔だ。母親の1人は、キャンデーを食べている。むいた紙をそのまま床に捨てる。たまりかねて、ついに女性が注意した。「あ、ハイ」と母親はすぐに紙を拾った。どもたちも跳びはねるのをやめた。

 知人のその女性から聞いた話である。「ああいうときって、いつ注意しようか、だれか言ってくれないかしら、とみんながイライラしてるでしょ。近くにほかの乗客がいなかったから、私が注意するしかなかった」「でも、思いがけなかったわ、あんなに素直だなんて。きっとあのお母さんたち、悪いことしてるなんて考えもしなかったんだわね」。

 以前、ロンドンで見た場面。バスの切符を買うとき、車掌さんに男の子が乱暴な口をきいた。年配の車掌さんは男の子の両肩を押さえ、丁寧に言いなさい、としかった。男の子は言い直した。「そう、もう一言、プリーズをつけなさい」「プリーズ」「はい、よろしい。じゃ、これが切符だよ」。

 子どものしつけや生活についての国際比較の結果が先日、公表された。たとえば、父母から「うそをつかないように」とどの程度言われるか。「父親によく言われる」のは日本11%、韓国41%、米国47%、イギリス44%、ドイツ28%。「母親に……」も、似たような数字だった。

 まことに嘆かわしいが、では責任を家庭のしつけ不足のみに押しつけて、それでコト足りるだろうか。親の責任が重いのは当然のこと。しかし学校も社会も、責任は除外というわけにはいくまい。電車やバスの光景が、もっとあってもいいように思う。むろん、いつも相手が素直とは限らないけれど。
 

 いや、ごもっとも。朝日新聞にも少しはまともなことを言う連中がいたのかと少しほっとした。

 子供を躾ること。それは道徳であり修身である。では、なぜ躾が必要なのか。言うまでもないが、人間は一人では生きていけない。大勢の人間と関わり合いながら生きている。その中で、大勢の人間が円滑な社会生活をするための最低限のルールとして道徳がある。

 では、どのようにして道徳教育を行えばよいのか。先の話題に上った若い母親も道徳教育は受けてきているはずである。しかし、それを実践できていない。

 道徳のもっとも基本的な出発点は帰属意識である。自分自身はある特定の集団に所属している。そして、その中でお互いに認められて円滑に生活を送るためには一定のルールがいる。それが道徳である。つまり、道徳観念のない人は、往々にして帰属意識が非常に低いのである。

 中世の日本では、システム化された道徳教育(儒教や朱子学など)が行き届いていない地域でも、比較的躾は行き届いていたと言われる。それは、帰属意識があったからに他ならない。その集落に対する帰属意識、地方に対する帰属意識、国家に対する帰属意識、それぞれレベルは違うだろうが、人々は明確な帰属意識を持って生活していた。そこにこそ、躾や道徳は自然発生的に生まれるのである。

 しかし、現在の日本では帰属意識があまりにも低下している。自分自身が日本人であると明確に意識している人がいったいどれくらいいるのだろうか。それもこれも日教組と朝日新聞が、日本人から帰属意識を奪い続けたからに他ならない。

 それでは、日本人はどのレベルの帰属意識を持つことができるのであろう。やはり、常識的に考えて国家レベルの帰属意識ではないだろうか。つまり日本である。

 最低でも、価値観や歴史をある程度共有できなければ帰属意識は育たない。その一番外側にあるのが日本という帰属意識だ。いまの子供たちに帰属意識を植え付けるための、「君が代」であり「日の丸」である。

 「君が代」と「日の丸」と「天皇陛下」の元で、日本国民が帰属意識を持ち、日本人として恥ずべき事をしてはいけないと言う気持ちが芽生えるなら、今日の天声人語にあるように躾が行き渡り道徳が普及し、すばらしい社会が実現できる。


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■《天声人語批評》(2000/02/10天声人語より)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/10:より引用》

 国会の正常化をめぐって〈何も言っていないに等しいことばが政界を行
き交った〉と書いたのは、きのうの朝である。同じ日の午後、その手のこ
とばを、これほど大量に聞かされるとは思わなかった。

 場所は衆院第一議員会館。2005年に開催予定の「愛知万博」の計画
をめぐり、異なる立場の人たちが討論した。一方は、事業を進めようと
する愛知県や通産、建設、運輸といった省庁など。もう一方は、見直しを
求める市民団体の代表ら。

 万博のいわば元締である博覧会国際事務局(BIE・本部パリ)の幹部
が去年の秋、通産省に厳しい注文を付けた。その事実が明らかになって
から初めての対面だ。どんな中身だったか、例を挙げる。

 「万博跡地を宅地や道路にするのは、万博が掲げる自然の叡智(えいち)
というテーマと矛盾するのではないか」。これが市民団体の問い。通
産省の答え。「森の中での暮らし、人の手が入るということは、正面から
追求していく価値のある話ではないかと、これをどういう風にしていった

一番いいのか、ということはいろいろ研究していかなくてはいけない、い
ろいろご議論のなかで……」。延々と続くが、後略。

 問い「反対があるのに、市民やNGO(非政府組織)との合意ができて
いない」。答え「努力の不足があるんだなとは思ってますが、その一方で、
やれるだけ一生懸命やってんだけどな、という気持ちがあるのも確かで、
したがってまだまだやり方が足りないところが……」。以下略。

 胸の内はさぞや苦しいのだろう、と察する。にしても、誠実とはほど遠
い対応だ。「同じことを繰り返させていただき恐縮です」との発言に、市

団体側が「ならば言わなくてもいい」と憤激する場面もあった。

 今後もこの調子でいくつもりなら「自然の叡智」なるテーマを変えても
いいかもしれない。「馬耳東風」とか。



 イヤー本当に朝日新聞らしい、物事を斜めに見た悪意ある天声人語である。思わず拍手をしてしまった。

 大都市の過密地域における住環境の悪化は、それが叫ばれ出してから久しい年月がたったが、未だに手つかずのままである。人間には住む場所がいる。しかし、無制限に自然を破壊していいわけはない。では、いかにして人間の住空間と自然空間を調和させ、バランスのある開発を行うか、そこにこそ人間の叡智が問われるのではないだろうか。

 愛知万博は、そういった観点に立脚して進められているものと思っていた。確かにそういった観点に立つならば、「自然の叡智」というテーマはふさわしくない。「人間の叡智」とすべきである。

 物事にはどちらにも言い分があり、どちらの意見にも耳を貸すべきである。これは、朝日新聞がいやというほど何度も繰り返し主張してきた事である。にもかかわらず、怪しげな市民団体の意見にだけ耳を傾け、自治体や政府は何も言っていないに等しいと断じる。自己矛盾も甚だしい。まさに、朝日新聞こそ、<何も言っていないに等しい言葉>を垂れ流し続けている。



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■《天声人語批評》(2000/02/09天声人語より)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/09:より引用》

 以前に聞いたような話を、キッシンジャー元米国務長官がニューヨークの集まりで披露していた。

 こんな内容だ。「米大統領が『イエス』と言えば実行を伴うが、日本の首相の『はい』には『あなたの発言の趣旨は認識している』という程度の意味合いもある。だから日米間にはつねに誤解の可能性がある」。そう、同類項の話をクリントン大統領も米ロ首脳会談で口にした。

 「日本人がイエスというときの多くは、ノーの意味だ」と。発言は1993年のことで、当時の新聞は〈米国の多くの要人には、日本人の返事はあいまいだという認識が定着している〉と書いた。日本の首相が「善処する」と言ったのを、米大統領は「解決の約束」と受け取り、すれ違いが生じた。と、日米繊維交渉の際の事例も添えてあった。

 「まことに遺憾であります」も、あいまいな政治家・官僚ことばの一つ。謝罪みたいに響くが、残念がっているようでもあり、判然としない。しかし、辞書を引けば答えは簡単。「心残り、残念」といった意味はあるけれど、「ごめんなさい」の要素はゼロなのである。

 なのに、たいていの場合、陳謝のように装って使われる。「前向きに検討いたします」も、どうやら「ご意見は承りました」と大差ない。「先生のご意見を体して」も同じ。そう言われると、相手もなんとなく満足してしまう。

 米国の消費者団体が、たばこの外装にしるされた喫煙警告を調べ、評価を公表した。世界45カ国が対象で、〈喫煙は死につながる〉と大きな字で警告しているカナダなどが高得点。日本の〈健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう〉は、「何も警告していないに等しい」と先進国で唯一零点をつけられた。

 国会が正常化へ。そういえば、この間ずいぶんと、何も言っていないに等しいことばが政界を行き交った。

 いつまでたっても朝日新聞は野党根性が抜けない。自分自身は新聞界の大勢力のくせして。国会が空転したのは野党が審議拒否したからではないか(実質与党だけで審議が進められたので空転ではないが)。日程のことでごたごた言って、ガキじゃあるまいし。しかも正常化の糸口のために与党はどうすればよいかきいたら、野党諸子は「それは与党が考えることだ」と異口同音におっしゃる。全く責任放棄も甚だしい。もし、本当に政治のことを考えているのなら野党から条件を出し、これは民主主義のために必要だから与党はこの点で妥協しろと迫るべきであった。そのチャンスがあったにもかかわらず、野党はその無能力さから有効に活用することはついになかった。野党はガキの集団である。

 野党は政治的に本当に”弱い”。数が少ないというのではなく、政治力が圧倒的に低い。朝日新聞は弱者と強者の構図が非常にお好きなようだが、少なくとも、政治力において弱いと言うことはそれだけで罪であると認識すべきだ。

 有権者の信託を受けて国会議員になっているにもかかわらず、野党議員は国会においてその無能さを露呈する。選挙の時には自分は能力があると嘘をついて当選しているのだ。これは有権者への裏切り以外の何者でもない。

 それと、たばこの警告についてのコメントがあるが、日本のたばこメーカーは健康を害する可能性があることを告知しているだけまだましである。朝日新聞には明日の朝刊より、下の警告文を一面のわかりやすいところに告知することを強く要望する。

<朝日新聞には事実を歪曲し捏造された記事が多く含まれます。また、中国共産党と朝日新聞に不利益となる記事は恣意的に載せておりません。あなたの思考を侵し、誤った民主主義の観念を植え付ける可能性がありますので読み過ぎに注意しましょう。>



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■《天声人語批評》(2000/02/08天声人語より)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/08:より引用》


 頭にひっかかっていることがある。あのトラは、本当に殺されなければならなかったのか、という疑問である。  

 東京都町田市の動物プロダクションで、アルバイト飼育係の男性(25)が、えさを与えようとしてベンガルトラに襲われた。トラがおりから出る危険があったため、救出されたのは3時間近くあと。男性はすでに死亡していた。トラは吹き矢で麻酔をかけられ、その日のうちに薬殺された。

 目撃者がおらず、なぜ襲ったかはよくわからない。亡くなった人はまことにお気の毒だった。しかし、警察の話などを総合すると、プロダクション側の管理態勢に重大な手落ちがあったというしかなさそうだ。えさをやる場合も、トラとの間には何の障害物も設けていなかった。

 おりは大型犬を収容する程度の粗末なもの、と現場に行った専門家は語る。周辺はきわめて不衛生な状態だった、ともいう。それにベンガルトラは希少動物で、学術目的などのほか、原則として取引は禁じられている。明らかな違反だ。トラに非は、まずなさそうである。

 けれども、眠っているところを殺された。出動した警視庁町田署に聞いてみる。「おりはちゃちで、麻酔が解け興奮状態になると、壊れるかもしれない。逃げだせば、人間に危害が及ぶ恐れもある。夕やみも迫り、薬殺やむなしとの結論になった。仕方のない措置だった」

 多摩動物公園の職員も現場に派遣された。「実は警察から一時的にでも引き取ってもらえないかと打診されたが、お断りした。不衛生きわまりない飼い方で、引き取れば動物公園そのものの衛生状態が悪くなり、ほかの動物に影響が出かねなかった。派遣した人たちが帰ってきて最初にしたのは、靴や持参した道具などを何もかも消毒することだった」

 それぞれ、もっともながら、どこか釈然としない気分も残る。どうしてだろうか。

 何の罪もないベンガル虎を薬殺したんだから、釈然としない気分が残るのは当然だ。

 この虎は訳も分からずに捕獲され、日本に連れてこられ檻に入れられた。そして、アルバイト飼育係のことを敵と思ったか餌と思ったかは判然としないが、虎としての当然の権利としてかみ殺した。にもかかわらず、人間の手によって殺害されてしまったのだ。

 しかし、薬殺しなければさらに人間に被害のでる可能性もあった。虎を殺害したことは、どこまで行っても人間側の理屈だ。虎に非はない。

 そういえば、近代史に同じような事件があった。

 その国は、ユーラシア大陸の東に位置する平和な島国だった。そこに西洋列強の侵略の魔の手が伸びてきた。中国の沿海州と樺太にはロシア、インドシナにはフランス、インドネシアにはオランダ、ハワイとフィリピンにはアメリカ、インドにはイギリス。その島国は列強植民地の檻に入れられてしまった。檻に入れられたのはその島国だけではなく、ユーラシア大陸の東の端にある半島国家と、眠れる獅子と呼ばれた古からの大国も閉じこめられた。その島国は、このままではほかの東アジアの国と同じように列強に喰われてしまうと、言いようのない恐怖におそわれ、これに一国で当たるのは大変なので、半島国家と眠れる獅子に共同で立ち向かおうと説得した。しかし、それまで獅子だと思っていたのは実はどうしようもなく危機意識のない無能な豚であった。そして半島国家も、自分たちはその豚の家来だから島国の言うことなど聞く耳を持たないと言ってきた。このままでは檻の中にいる国々は、すべて西洋列国の餌になってしまう。

 島国は思った。それでは豚とその家来を餌にして、島国に力を付けよう。そして、強力になり、西洋列強の暴力を東アジアから追放し安全と平和をもたらそう。

 半島国家は予想以上に軟弱だった。ちょっと脅しをかけると相手から島国の一部になりたいといってきた。

 豚は相変わらず怠惰だったが、この島国の行動はかんに障った。西洋列強に自分の肉を切り取られてもさして気にしなかったにもかかわらず、自分の家来を島国にとられたのはよほど気に入らなかったらしい。豚は西洋列強のことをご主人様とでも思っていたのだろうか。体の一部だけではなく、全部食べられそうになっていたのに・・・

 そして、島国は豚の一部も切り取った。

 西洋列強は、地球上のほとんどのごちそうを食べてしまっていて、残っていたごちそうは、ユーラシア大陸の東部分だけとなっていた。その中でも豚はこの上もなくおいしそうに見えていたに違いない。

 しかし、西洋列強が豚を食べ始めていたときに、その一部と考えていた島国が、なんと西洋列強のごちそうであるその豚をかじってしまったのである。

 島国にとってみれば至極当然の行為だった。ほかの西洋列強だってもっとえげつないことをしている。しかも、その食欲は豚だけでなくこの島国にも向けられている。今豚を食べなければこっちが喰われてしまう。

 西洋列強は激怒した。これから食べようとしていたごちそうを、その一部であろうと、東洋の小国の猿がかじったのである。

 島国は、民間人地区への無差別絨毯爆撃と原爆の投下によって殺されてしまった。西洋列強にとっては当然の結末だった。ほっておけば、この島国はもっと豚を食べてしまうから。どこまで行っても西洋列強の理屈だ。

 朝日新聞は、哀れなベンガル虎の気持ちは分かっても、哀れな島国の気持ちは分からないらしい。


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■《天声人語批評》(2000/02/07天声人語より)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/07:より引用》

 京都のあの事件のあと、現場に居合わせた子どもたちに吐き気、不眠などの不安症状が続いている、と伝えられた。「おとなしかった子が興奮したり怒りだしたり、どこかおかしい」という話もあった。

 こうした心の傷は、簡単には消えてくれない。事件の解決が長引いていることで、負担はさらに重くなっているのではないか、と思われた。それなのに、事件から47日目にしてようやく任意同行を求めた容疑者の逃走、自殺という結末である。

 これでは、ますます心の整理がつけにくい。ご遺族はもちろん、子どもたちのことも心配でならない。京都府警刑事部長は「やむを得なかった」と釈明した。だが、公園のベンチに座っていた容疑者の前には2人、公園内には4人の捜査官がいたという。「最善を尽くした」(刑事部長)と聞いても、自己弁護の最たるものとしか響かない。

 「子どもたちの平穏な生活を回復するため、1日も早い事件の全容解明を」と、京都市の教育長はコメントを出した。残念だけれど、容易ではないだろう。かりに容疑者の犯行だとすれば、なぜ、あんな凶悪、無残な行為に及んだのか。解明に近づく一番の手がかりは、本人の供述である。彼を逮捕し調べることは、類似の犯罪を防ぐことにもつながったはずだ。

 本来は弱い者が、自分より年少の、もっとずっと弱い者を狙い、犠牲にする。京都の事件は、どうもそんな構図ではないか。21歳の無職の容疑者は、近所の人が「ここ2年ぐらい、ほとんど顔を見ない」存在だった。9年余りも少女を監禁していた新潟の37歳の無職の男も、かなり似通った面がある。2人とも、この社会の中で身をひそめるようにしていた。二つの事件の標的は、小学生だった。

 2人の被害者を思うと、たまらない気持ちになる。弱者が弱者をと考えると、やりきれなくなってくる。


 警察の対応を避難しているが、では、見込みで令状ももとらずに拘束すればよかったのか。そんなことをすれば朝日新聞は鬼の首を取ったように人権侵害だと書きたてる。

 今回は、捜査令状を請求している最中に容疑者宅を訪れている。後数時間待って令状が承認されてから容疑者宅を訪問すべきだったという批判もある。しかし、犯人の残した犯行声明からも、いつまた第二の事件が発生するかもわからない緊迫した状況で、少しでも早く容疑者の身柄を確保したかったに違いない。捜査令状が承認されても、すぐに逮捕令状がでるわけではない。捜査令状を元に家宅捜索しても容疑者を拘束できない。それでは任意同行を求めて本人を警察署に連れて行き、その間に家宅捜索と逮捕令状の請求を行うつもりだったのだろう。操作の手順としては誤りはない。

 しかも、公園で話を聞いている最中に容疑者(当時は参考人)が逃走したが、では、この容疑者を追いかけて捕まえた場合はどのようになるのだろうか。人間の行動を、体を押さえるなどの実力を持って制限したならば、これは「逮捕」にあたる。逮捕令状もなしに民間人を警察官が逮捕できるわけはない。今回は現行犯でもないし。もし、そんなことをしていれば朝日新聞の餌食になっていただろうことは想像に難くない。


 最後に、「弱者が弱者をと考えると、やりきれなくなってくる。」と締めくくっているが、それでは強者が弱者を犠牲にしたならばやりきれるのだろうか。

 朝日新聞らしい、実に安っぽいヒューマニズムだ。弱者様はどんな状況でもどんなときでも正義でないといけない。弱者様をこんな凶悪犯罪に駆り立ててしまったのは社会と政府が悪いとでも言わんばかりである。

 朝日新聞と自称進歩的文化人たちは、強者は悪で弱者は正義だという。いや、そうでなければならないという。ばかばかしい。絶対的弱者と思われている身体障害者にだって犯罪者や悪い奴らはいる。礼儀知らずな連中も多い。この世にあるのは強者と弱者ではない。あるのはいい奴と悪い奴だ。今回のこの容疑者は「悪い奴」だっただけだ。だいたいなにを持って弱者を定義するのか教えてほしい。


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■《天声人語批評》(2000/02/06天声人語より)


■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/06:より引用》

 翻訳者募集、主婦歓迎。林万里子さん(33)が地域情報紙でみつけた求人に軽い気持ちで応募したのは、専業主婦になってしばらくしたころだ。

 集まった20人に渡されたのは『化学物質毒性ハンドブック』という米国の専門書。4000ページを超す大著だった。大学で化学を専攻し、化学メーカーの研究所で働いていた林さんでも一語一語、辞書を引かなければならなかった。

 茨城県立医療大学の内藤裕史教授を囲み、毎月1回、化学物質について学習を重ねながら作業を進めた。みんな関東地方に住んでいるが、経歴も年代もさまざま。助け合い補い合って、3年あまりをかけ全6巻の翻訳ができあがった。

 その間に男の子を産んだ林さんは、育児に奮闘しながらも、責任をもって仕事をする達成感を取り戻した。本来なら時間と労力のいるこうした翻訳にこそ、正当な報酬が払われるべきだろう。「それだと本は世に出なかった。だからやりがいがあった」。仲間の1人で、何度か翻訳の経験がある武居裕子さん(62)は話す。

 主婦、とくくることで、それぞれが持つ多様な能力や意欲が見えなくなってしまう。こう考えた福岡市の企画会社「フラウ」(浜砂(はますな)圭子社長)が「主婦生活総合研究所」を設立した。行動範囲や情報感度、人的ネットワークなどを指標に、400人の主婦を徹底分析し、「主婦の棲息(せいそく)分布図」にまとめている。

 1日30品目の食事にこだわる子育て情熱主婦、せっせと講座に通う女性センター主婦、ボランティアや非営利団体で活動するワーカーズ主婦。15種のなかには、お気楽主婦もしっかり棲息している。

 1カ所にとどまらず、変幻自在なのもまた主婦だ。子育て情熱主婦が離乳食コンサルタントになったり、家にこもる在宅主婦が収納アドバイザーになったりする。浜砂さん(45)も、主婦からの起業組。主婦は人材の宝庫でもある。




 少子化の影響等で、主婦も労働力として活用しなければならないという声もあり、また、子供を持っても仕事を続けたいと思っている女性が増えていると聞く。そのための社会制度を整えるのが急務であると大まじめでいっている政治家もいる。

 しかし、小さい子供のいる女性を使ったことのとある人じゃないと解らないかもしれないが、子供のいる女性ははっきり言って使えない。子供が熱だしたら遅刻や欠勤は当たり前。残業を頼んでも保育園に子供を迎えに行くからだめ。休日出勤なんてもってのほか。

 では、子供を育てながら仕事のできる社会環境を実現すれば、世の女性たちは男性並に仕事をして、子供もばんばん産んでくれるのであろうか。

 答えは「否」である。

 昭和の中頃まで、女性にとっては子供を育てながら仕事を続けるということは不可能に近かった。しかし、それでもなお、一人平均4人程度の子供を産んでいたのである。女性が社会進出をしてきたために、子供を産まなくなってしまったのだ。

 ある調査期間によれば、このまま少子化傾向が続けば後数百年で日本人が一人もいなくなってしまうとのことだ。

 確かに、子供のいる女性が働きやすい社会環境を整備するのも必要かもしれないが、その前にこの日本を後生に残すことを考えるべきである。まず子供を増やす。これが第一だ。

 そのためには、女性が一人で生きていけない社会にすれば手っ取り早い。一人で生きていけなければすぐに結婚して子供を産むだろう。よほど能力のある女性だけが社会進出すればいい。その他大勢の大した能力のない女性は社会に進出させないで、すぐに結婚させる。そうすれば、すぐに子供が増えるだろう。

 もっとも、それを養う男性は今のように安穏としていてはもちろんだめだ。能力のないものはたたき落とされるシビアな社会を実現し、真に実力のある人間だけが妻をめとり、子孫を残すことが許される、そんなシステムを実現しなければならない。



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■《天声人語批評》(2000/02/05天声人語より)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/05:より引用》

 『吾輩は猫である』に、やたらに「大和魂」が出てくる場面がある。〈大和魂! と新聞屋が云(い)ふ。大和魂! と掏摸(すり)が云ふ。……東郷大将が大和魂を有(も)つて居る。肴(さかな)屋の銀さんも大和魂を有つて居る〉といった具合。苦沙彌(くしゃみ)先生苦心の名文だ。

 国会の内外で、このところやたらに「民主主義」ということばを聞かされる。「国会審議のボイコットは、議会制民主主義に対する挑戦だ」と公明党議員が言う。「国民の意見を聞かずに法案が通るのなら、議会制民主主義が死んでしまう」と共産党の書記局長が言う。

 「政治テーマに一つひとつ決着をつけるのが民主主義だ」と自由党の幹事長が言う。「民主主義が死んだ」と民主党代表が言う。そのほか中山正暉建設相も、吉野川可動堰(ぜき)の住民投票をめぐって、繰り返し民主主義を口にした。

 事前に「民主主義のはき違え」「民主主義における投票行動の誤作動と思う」と住民投票を批判。ところが建設反対票が圧倒的多数を占めたとたん、釈明に移る。「投票をとって誤作動というのでなく、今のわれわれの対応が誤作動にならないようにと、使った」「私も数で生きてきた男。票は神様の啓示。それをおろそかにしようとは思わない」。

 しかし反転し、強硬路線に回帰。と、今度は住民代表に「ゼロからの話し合い」を約す。最近の発言は「科学的に考えることを住民投票で左右するのは民主主義を逸脱している」。ここと思えばまたあちらだが、「私の心の揺れを表している。心も可動堰」なのだとか。

 苦沙彌先生の名作は〈大和魂は名前の示す如(ごと)く魂である。魂であるから常にふらふらして居る。……誰(だれ)も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。……大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐひ)か〉と痛烈に終わる。

 国会の、とくに与党の諸氏が唱える民主主義の方も、ふらふらしている。この民主主義、天狗の類か。



 民主主義って、いつからそんなに絶対的なものになったんだっけ?オーストリアでは極右政党が与党になったが、国内では公正な普通選挙によって選ばれたのだから民主主義だというし、EUやアメリカは民主主義への挑戦だという。民主主義なんて所詮そんなもん。朝日新聞の揺れ方が野党に近いから、与党だけ揺れてみえる。自分が揺れていることに気づかない。揺れているかどうかも検証しない。愚か者の特徴だ。

 だいたい、徳島の吉野川可動堰に関する徳島市の住民投票になんの意味があるのだろう。朝日新聞の記者は、可動堰がどこにできてどのような働きをするのか、一度でも検証したことはあるのだろうか。

 徳島では、1800年代に大洪水があり3万人程度死者が出ている。もちろん、その後堤防を補強したりしてはいるが、吉野川の性格上、いつまた洪水が起こるかわからない。しかも、徳島の河川行政は非常に遅れていることを本州の人は知っているのだろうか。

 夏に台風がくると、吉野川でこそ洪水は起こらないがその支流のあちらこちらでは氾濫が起きている。そのたびに農作物や道路に被害がでる。台風が過ぎ去った後にドライブをすると、あちらこちらの道で流木が道をふさいでいたり、土砂崩れが起きていたりと悲惨な有様である。しかも、徳島の河川には立派な橋があまりないので、川の水が増水すると水没してしまう「潜水橋」と呼ばれる原始的な橋が数多く残っている。その中のいくつかは、大雨の度に橋が流されそのあと村人が総出で修復に当たるような惨めな橋である。

 このような状態で、未曾有の大雨がきたらどうなるであろう。第十堰の上流で堤防の決壊が発生し、大きな被害がでることも予想されるし、第十堰が破壊されて、下流域の橋が流されるなどの被害が予想される。

 たしかに、住民の未来は住民が決定するということは理にかなっているように思える。しかし、今回の住民選挙は、少なくともこれに合致していない。

 なぜなら、第十堰のせいで洪水が起きたとしても徳島市にはほとんど被害がないからである。
現在第十堰があるのは、徳島市と石井町の境界。もし、洪水が起きるとすると、徳島市より上流にある町が被害を受ける。

 直接利害の関係ない外野にいるにもかかわらず、住人の生命や財産に関わることを、ただの安っぽいヒューマニズムとそのときの気分で決めてしまい、あまつさえそれが民主主義の理想であるかのように報道する暴挙が、果たして許されるのだろうか。これが朝日新聞のいうところの民主主義の正義か?

 今度、徳島に転勤になる予定がある。もし、第十堰のせいで吉野川が氾濫し私の家族が死ぬようなことにでもなったら、可動堰に反対した連中と朝日新聞の関係者は皆殺しにしてやるからな。覚悟しておけよ。

 物事の本質も知らないで偉そうなことを言うのは、朝日新聞のお家芸だが、そろそろその愚かさに気づいてもいいのではないだろうか。



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《天声人語批評》(2000/02/03天声人語より抜粋)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/03:より引用》

カラスの鳴かぬ日はあれど、役所のホームページへの侵入騒ぎを聞かぬ日はなし。そんな昨今だ。ハッカーたちは、まるで透明人間のように忍び込み、乱暴ろうぜきを尽くして去る。いや、もっと始末が悪い。

<中略:アメリカ公聴会でのハッカーの話>

 こうした現状を見せられると、コンピューター管理についての日本の役所や企業の危機意識は相当甘い、と思わざるを得ない。



 朝日新聞は、以前自社のホームページが書き換えられた事件を忘れてしまったのだろうか。全くおめでたい連中だ。今回書き換えられたホームページは、ファイヤーウォールの外側にあったというお粗末な話だったが、朝日新聞のホームページが書き換えられたときは、WEBサーバーはファイヤーウォールの中にあったのだろうか。もし、ファイヤーウォールの外にあったのだったら間抜けな話だし、ファイヤーウォールの中にあったのなら、役に立たないファイヤーウォールなどあるだけ無駄な話だ。どちらにしても大間抜けである。

 以前、ジャストシステムの一太郎に一月十五日を成人の日としてしまっていた不具合があったとき、朝日新聞はこれでもかというぐらい酷評し、しかもその修正はユーザーレベルでは不可能に近いとまで言ってのけていた。しかし、実際この件に関しては、カレンダーを作成した後に、該当の日付の色を変更するだけで修正ができるのである。この、パソコンを始めて一ヶ月程度の初心者でもできるような修正でも、朝日新聞の記者にはとてもとても不可能な事に映ったにちがいない。もう少し、パソコンに触れてみてはどうか。それとも、コンピュータという資本主義の産物には恐ろしくて近寄ることすらできないのであろうか。朝日新聞の記者諸子は他人や他社を責める前に、よくよく自分自身のことを反省したほうがよい。

 朝日新聞の愚かさを露呈するような天声人語だった。



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