平成十二年二月十四日〜二月二十日まで
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■《天声人語批評》(2000/02/20)
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■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/20:より引用》 〈日本語表現に大きく影響を与え、多数の文学的エピゴーネン(模倣者)さえ生み出した悲劇の天才〉
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朝日の記者って本当に頭が悪い。まだプロレタリアート革命の熱病からさめていないようだ。ちょっとでも市場原理でなさそうな現象を見つけたら、その本質を伝えないまま資本主義社会への抵抗であるかのように報じる。全く馬鹿の一つ覚えだ。
ちなみに岡崎女史の作品を引用しているが、この手の手法は漫画界では古くから使われていて、目新しい手法でも何でもない。そういった作品に群がるオタクも昔からいた。最近ではエヴァンゲリオンが有名だろう。ただ単に朝日新聞の記者がものを知らないだけだ。
また、Linuxが活況を呈しているのはオープンソースであることも一因ではあるが、決してそれだけではない。消費者が独占的パソコン用OSであるWindowsに飽きてきているからに他ならない。そこには、エンドユーザーの潜在的な欲求があった。つまり、「消費者」の「需要」があったからこれだけLinuxが活況を呈しているのである。これは、中学生でも知っている「市場主義」である。
「情報の公開と共有、そして自由な改良」があたかも市場主義と相反するがごとき書き方をしているが、では、社会主義共産主義の国々でそのいずれか一つでも実現できていた国はあっただろうか。ソ連ではどうだったか。支那では、北朝鮮ではどうだ。これらの国々では今現在に至ってもそれらが完全に実現されてはいない。なぜなら、「情報の公開と共有、そして自由な改良」は高度に発展した市場主義/資本主義の産物であるからに他ならない。
朝日新聞の記者には、この誰にとっても自明であると思われることを受け入れることができない。実は本当は分かっているのだけれども信条として受け入れることができないのであろうか。それともただ単に本当にものを知らず頭が悪いだけなのであろうか。幸いにも私の知り合いに朝日新聞関係者はいないので確認することはできないのだが、がんこで、かつ頭が悪いように思える。
市場主義の原理が、あちこちで正常に作動している。
■《天声人語批評》(2000/02/19)
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■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/19:より引用》 ジョージ・ワシントンと桜の木の話はよく知られている。父親の大切にしている桜をおので傷つけたが、正直に「ぼくがやりました」と告白したという、あれだ。 「パパはうれしい」と父親は応じる。「お前の正直な答えは、1000本の桜の木より値打ちがある」。昔の小学校修身の教科書にも、正直のお手本として取り上げられていた。しかし、実はこの話、真っ赤なうそなのである。 アメリカの牧師、ロック・ウィームズが書いた『逸話で綴(つづ)るワシントンの生涯』なる本に、「立派な婦人」から聞いた「真実であることは疑いの余地がない話」として登場するが、本当はウィームズの作り話。しかも、牧師という経歴もうそだった(ゴールドバーグ『世界ウソ読本』文春文庫)。 正直の例えにうそを使う大胆な手口。創作したこのご仁、もともとペテン師じみてもいたようだ。でも、どうせうそをつくなら、このぐらい壮大な方がまだいいかもしれぬ。新潟県警のうその一件を聞いて、ふと、そんな物騒なことを思った。 今回のうそ、責任逃れの意図がありありで、なんともみじめったらしい。あわてて台本を書いたのがだれかは知らないが、ちょっと落ち着いて考えれば、遅かれ早かれ露見するのは明らかだった。保健所や病院など、外部に事情を知る人がたくさんいたのだ。「もみ消し」などできるはずもなかった。 なぜ、うそをついたのか。「報道関係者の取材が殺到し、第一発見者(病院関係者ら)に迷惑がかかることを考慮して伏せた」と県警幹部は語ったそうだ。言い訳として、これはいただけない。ことばどおり信じる人は、ほとんどいないだろう。責任転嫁のこのうそ(と断定していいと思う)には寒々とする。 ワシントンの父親なら、こう言うかもしれない。「パパは悲しい。県民に、関係者全員が進退伺を出してほしいね」 |
ワシントンと桜の木の話は真っ赤な嘘だったということは、今やあまりにも有名になってしまっている。しかし、今まで信じられてきたワシントンの話がゴールドバーグの本によって覆されたのだが、ではゴールドバーグの主張が実はでっち上げであったことが明らかにされる可能性は全くないのであろうか。
実際のところ、ゴールドバーグがワシントン親子の生活を四六時中監視していたわけではない。彼はその著書の中で、ワシントン家の庭にはそもそも桜の木はなかったと論じ、であるからこの話は真っ赤なウソであると断じている。しかし、ワシントンが傷つけたのが桜の木ではなく、リンゴの木だったらどうだっただろう。当時、アメリカ東部の農家では一般的にリンゴの木が植えられていたので、桜の木とリンゴの木を間違えて後世に伝えていた可能性もなくはない。しかし、桜の木でなければ「正直」が大切であるということの寓話にしてはだめなのであろうか。
朝日新聞のよく使う手なのだが、何かを主張するときに論拠となる引例を掲載し、しかし、その論拠となった引例の正確性など毛ほどの検証もせず、また、全く事実にないものを捏造してまで自らの主張に信憑性を与えようとする。
以下の事例など、朝日新聞の典型である。
朝日新聞が大東亜戦争中の事件で日本をさらに貶めようと画策しているさなかに、渡りに船と言わんばかりに日本の犯罪を告発する人間がでてきた。それが「吉田清治」である。かれは、軍人時代、司令部の命令で朝鮮の済州島において強制連行を行ったと証言した。彼は部隊の隊員数名とトラックに分乗し済州島各地の村々を襲い若い女を従軍慰安婦にするために強制連行したというのである。そしてその任務の特典として強制連行してきた女性たちを強姦することが軍の命令で許されていたと。そのとき狩り集めた女性の数は50名以上とのことである。
もちろん朝日新聞はこの証言に飛びつき、日本を糾弾するための大キャンペーンを展開した。そのころから、日本でも朝鮮でも従軍慰安婦問題がクローズアップされてきたのである。
さて、ここで朝日新聞は「吉田清治」の証言を何の検証もすることなく「事実」として記事にしたが、それは間違いなくそうだったのであろうか。
この一件が報じられて、強制連行が行われた済州島でも大きな問題となったのである。こんな非人道的なことが行われていたのであればそれを調査し告発しなければならないと朝鮮のマスコミが済州島まで取材にきた。そして不思議なことが起こったのである。
強制連行があったとされる村々の老人に聞き取り調査をしてみても、いっこうにそんな事実を裏付ける証言はでてこなかったのである。老人たちは、こんな小さな村でそんな大事件が起こっていれば誰も知らないなどと言うことはあり得ないと証言した。当時済州島にも日本軍が駐留していたが、ほとんどが朝鮮半島出身の隊員であり、この点でも吉田清治の証言と食い違っていた。
そして、よくよくこの吉田清治の経歴を調べてみると、とんでもないことが発覚したのである。吉田清治が日本陸軍に所属し済州島に勤務していたことまでは事実であった。しかし、吉田清治が慰安婦狩りを行ったとされる時期には、彼はすでに済州島におらず内地で勤務していたのである。しかも済州島に勤務したのはほんの短期間であったし、吉田清治が勤務していたという部隊すら架空のものであったのだ。これは、日本政府に彼の軍務記録が残っているので間違いない。
以上のことを総合すると、済州島において従軍慰安婦狩りが行われた事実はなく、吉田清治の証言は真っ赤なウソ、もしくは、何らかの勘違いであったということだ。
新潟県警の怠慢と虚偽の記者会見を正当化するつもりはない。これについては18日の天猜人誤に詳しく書かせていただいた。しかし、他人のウソは少しも許さない、正義の権化のように振る舞う朝日新聞はこのように臆面もなく恥もなくウソを垂れ流しているのである。上記吉田清治の件に関しても、朝日新聞から訂正や謝罪は全くない。朝日新聞は虚報によって日本人の名誉を著しく傷つけているにもかかわらず、それについて反省もしないし責任もとらない。この点では謝罪した新潟県警の方がまだましである。
おそらく朝日新聞記者の細胞の少ない脳味噌ではそういった矛盾に気づかないのであろう。哀れな連中であるが、彼らの活動によって社会に害毒が垂れ流されている以上、早急な対策を講じる必要がある。
ワシントンの父親なら、こう言うかもしれない。「パパは悲しい。朝日新聞の記者は全員、日本国民に土下座して謝罪してほしいね」
■《天声人語批評》(2000/02/18)
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■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/18:より引用》 〈気になる点が二点ございます〉と、国家公務員倫理審査会事務局の首席参事官から手紙が届いた。先日書いた公務員倫理規定案についてである。 〈一点は「夜の会食」がすべて禁止されるものとされていること。もう一点は、中央官庁の課長の発言の中で「新年の名刺交換パーティー」の取り扱いが不明確であるとされている点です〉。ふむふむ。 〈規定案では、「夜の会食」は、職務上の会議に伴うものや倫理監督官の許可を得た場合など一定の範囲について認めております〉。え、そうなんですか。〈むろん利害関係者から供応・接待を受けることは論外として禁止するとともに、「割り勘」であっても倫理監督官の許可に係(かか)わらしめることといたしました〉。 〈職務として参加した会議等で簡素な食事の提供を受けることは、職務の円滑な遂行のため認め……〉〈オープンな場ともいえる立食パーティーについては、費用主催者側負担であっても禁止の例外として……〉。いや、もっと厳しいと考えてました。 倫理監督官は、各省の事務次官らが兼ねる。ただし、すべての面倒は見られないから、局長や出先機関の長などに実務を任せるべく検討中だそうだ。〈いささかスローガン的にいえば「接待から割り勘へ」「夜から昼へ」「料亭から会議室へ」であります〉。 実は読者からも、この問題で何通もの手紙が届いている。〈昔、お役人が調査で祖父の会社に来たが、昼食を出そうとすると、弁当持参だからと断られたそうです〉〈昼間、さえた頭脳のもと本音の議論をすることこそ必要なのです〉などと。 こうした手紙と倫理審査会からの手紙とでは、考え方にまだまだ差があるような。 |
いや、本当に倫理審査委員とこの手紙の内容とでは、考え方にまだまだ差があるようだ。蟻の穴からでも堤防は崩れるという。些細なことと見逃すのではなく、公務員の倫理を追究してもらいたいものである。
このように公務員の倫理には厳しい朝日新聞だが、では朝日新聞の倫理はどうなっているのだろう。朝日新聞に倫理規定があるのかどうかわからないが、実際の記者の行動から見ていこう。
朝日新聞の地方版の経済面には、地方企業の紹介が載ることが多い。全国版と違い、取材した日の翌朝の朝刊に記事を間に合わす必要がないので、記者も悠長に取材するとのことだ。そして、往々にして取材の後はその会社からの接待を受けるという。朝日新聞の本社ではどうか知らないが、地方支社においては断る記者はほとんどいないそうである。
接待の内容は、通常の会食からキャバクラ、ランパブまでと、その幅は広いようである。さすがにノーパンしゃぶしゃぶの話は聞いたことがないが探せばそういう事例もあるかもしれない。
と、ここまで見る限り公務員の倫理観と何ら変わりがない。いや、公務員の方が倫理規定の見直しと強化を行っているだけましではないだろうか。
取材を受ける地方企業にとっては、日本最大級の部数を誇る朝日新聞の記事は気になるに違いない。朝日新聞のことだから、接待をしておかないとあることないことでっち上げて記事にされるということがいやと言うほどわかっている。中小企業にとっては迷惑この上ないことだろう。もちろんこういった事実は朝日新聞の紙面にはでてこない。ほかの新聞にもでてこないことを見ると、他社の新聞記者も似たりよったりなのかもしれない。
ちなみに、弊社ASSAHI新聞社では厳しい倫理規定は設けていないが、常識としてそのようなことをする社員はいない。
■《天声人語批評》(2000/02/17)
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■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/17:より引用》 「私の店で、磁石を磁石という名前で売っていたころは、子どもたちは昔どおりの普通の子どもたちでした。それがエレキと呼ばれ、マグネットというようになって、変わってしまいました」 73歳のその女性は、小さな駄菓子屋の奥からもう40年以上も、子どもたちを見てきた。東京の、団地やアパートの多い地域に店はある。商うのはジュース、スナック菓子、カップめん、おもちゃなど。彼女は、ずっと立ったまま店番をしている。 座ると、棚の陰が死角になる。そこに置いた菓子を、子どもたちがこっそり持っていくのだ。「私1人なので、おちおちトイレにも行けません」。ボールが家の中に飛び込んじゃった、と子どもが言った。「はい、はい」と取って戻ったら、商品がごっそりなくなっていた。 おもちゃは天井から、ひもでつるしてある。これも万引き防止のためだ。盗もうとした子に注意すると、「失敗だ」「損した」と、あっけらかんとしている。悪いことだという意識が欠けているとしか思えない。 近くで遊んでいた子が入ってきて「おばさん、お手ふき」「足すりむいた。カットバン」と手を出す。渡しても「ありがとう」でも「すいません」でもない。30円のくじを引いた男の子が、当たった菓子が気に入らなかったらしく、飲んでいたジュースをペッとこちらに吹きかける。どれもこれも、親の顔が見たい。 せめて自分の店に来た子どもたちはきちんと育ってほしい、と日々、注意を繰り返す。でも、うれしいこともある。物を取りに、サンダルを脱ぎ捨てて奥の部屋に行った。帰ってくると、サンダルがきれいにそろえてある。4年生の女の子だった。「たぶん、家族が自然にそうしているのでしょうね」 子どものしつけについて書いたら、たくさん手紙をいただいた。その1人に詳しく話をうかがった。 |
最近の天声人語は毒が少ないね。先日も子供のしつけができていないっていう内容があったし。やっと自分たちと日教組が進めてきた愚民化政策が間違いだったと気づいたのかな。いや、おバカな朝日新聞のことだから、こうなったのも自分たちのせいじゃなくて、自民党一党独裁の弊害だとでもいってるんだろうな、きっと。
今日の天声人語にもあるように、「磁石を磁石という名前で売っていたころ」はよかったといっている。悪くなったのは「エレキと呼ばれ、マグネットというようになって」からとのこと。話を要約すると、「戦前の修身教育の影響が残っていた頃」はよかったが、「戦後民主主義と日教組の影響が強くなってくる頃から」悪くなったということだ。朝日新聞はもちろん全面的に日教組を支持し、バックアップしている。
今まで躾や社会ルールを否定し、アナーキーな論調で国民を愚民化してきた朝日新聞。自らの職務の責任を放棄し子供を甘やかすことしかしてこなかった日教組。文部省がこのような日教組の動きを制限しようとすると、朝日新聞は烈火のごとく文部省を批判する記事を書いてきた。そのつけが今実際に社会に弊害として現れているのである。
朝日新聞と日教組はこの現実を真摯に受け止め猛省すべきである。日教組はすぐに解散し、活動していた教師はすぐに教職から離れ隠遁生活を送るか、納得がいかないのであれば北朝鮮か支那に亡命すべきだ。朝日新聞もすぐに廃刊にし、紙資源の無駄遣いをやめ言論活動から永久に離れなければならない。それくらいはして当然のことを連中はこの五十年間行ってきた。
私が独裁者になった暁には、朝日新聞関係者と日教組構成員をすべて逮捕し、首かせをした状態で民衆の前にさらし「自己批判」させる。民衆は朝日新聞関係者と日教組構成員を取り囲んで「造反有理」と叫ぶのである。そして自己批判の足りないやつはこっそり人目に付かないところに連れ出し、徹底的な「粛清」を行う。これで日本の人口は数十万人は少なくなるはずである。彼らが愛してやまない「毛沢東」が行ったことと同じように・・・・/
■《天声人語批評》(2000/02/16)
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■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/16:より引用》 これほどまでに銀行の評判は悪いのかと、あらためて知る。東京の大手銀行を対象とした「石原新税」の人気が高い。
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あらかじめ明細を示せとのことだが、石原知事は最初から赤字補填に使うと言っているではないか。朝日新聞の記者は”つんぼ”なのだろうか。もしかして日本語ができないのかもしれない。であれば、新聞記事など書いている場合ではないだろう。小学校からやり直すことを是非ともおすすめする。
今度の新税で見込める収入増はたった1100億円である。もしかするともう少し圧縮されるかもしれない。東京都の累積赤字を解消するにはその程度では全く足りないのである。つまり、今回の新税は「都民にどうプラスするのか」ではなく「都民のマイナスを少しでも和らげる」というのが正解である。どちらにしても財源不足はさけられない以上、都民に負担がかかってしまう。ただ、その幅を少なくするだけだ。
東京都は国から交付金をいっさいもらっていない。殆どの自治体が交付金を重要な予算の柱の一つにしているのだが東京都にはそれがない。つまり東京都在住の人の受けるサービスの金額から納めている税金を差し引くとマイナスになるが、そのほかの地方では殆どプラスになっている。東京都在住の納税者は地方の人をいくらか養っているのである。
どう考えても不公平だ。「国土の均等的な発展」というかけ声の元、殆ど人の住んでない山奥に誰も使わない公共施設や高速道路が造られるなど、あまりにも再生産に結びつかない無駄な公共投資が進められてきた。このような金を大都市に投入すれば、大都市の住環境は向上し、再生産に結びつき国民総生産も伸びていたはずである。
「これからは地方の時代」というスローガンがむなしくこだまして何十年もたつ。今回の石原知事の新税導入をきっかけにして、真に地方の時代を実現していこうではないか。今のように交付金や補助金漬けの体質をやめ、地方で使う金は100%地方で調達するようにする。そのために税制も大幅に改革し、地方税の割合を大幅に引き上げる。所得税や消費税も地方税とし、それに関する権限もすべて地方に移譲する。これにより、国家予算も今の80兆円規模から20兆円規模までさげ、国家が負担するのは外交、防衛、治安と自治体をまたぐ大規模公共事業だけとする。後は地方の責任においてすべてを運営するようにする。そうすれば、大都市圏では財政状況が改善し生活環境が向上し、過疎地域では無駄な公共投資が抑制される。地方自治体はその責任が重くなり、今のように無能な地方公務員ばかりでは成り立たなくなる。地方自治の手腕においても高い能力が要求されるようになるのである。
真の地方自治を実現し、地方から活性化を行っていかなければならない。
■《天声人語批評》(2000/02/15)
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■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/02/15:より引用》 「転職してほっとしてます」。知り合いの若い女性が、しみじみ言っていた。バレンタインデーのことである。 これまでの職は、中堅企業の社長秘書だった。毎年2月14日になると、先輩からの申し送りで、社長はじめ部長以上の計10人にチョコレートを贈らなければならない。1人3000円相当と決まっていて、しかもすべて自己負担である。合わせて3万円は、実に痛い。 仕方がないので、買いたいものを我慢してまかなった。当日は各部を回り、渡して歩く。にやっとする部長あり、「もらって当然」という態度あり。3月のホワイトデーとやらには、義理堅く全員からお返しが届く。ハンカチやクッキーなどで、合計価格を見積もると優に3万円を超えた。むろん、得した気分になんかなれるはずはないが。 男というもの、どうも鈍いところがある。この場合も、会社という、まだまだ男中心の組織の身勝手がむき出しなのに、平気な顔をしている。軽い気持ちで「義理チョコ」と呼ばれるけれど、これは「お義理」で付き合うといった意味の「義理」だろう。彼女にとっては「義務チョコ」だった。 「義理と褌(ふんどし)」なるあまり上品でない例えがある。褌は昔の男が常にしめているもの。それを引き合いに「義理と褌欠かされぬ」のように用いた。どんなときも義理を欠いてはならぬ、という意味。もっと怖いのは「義理に迫る」か。世間や他人に対する体裁上、何事かやらざるを得ないようにすることだ。義理には、多分に強制的な面がある。 いつだったか、こんな投書を読んだ。〈昭和ひとけた生まれでバレンタインデーは無縁。でも還暦を過ぎるころから、娘や友人のお嬢さんにチョコレートをもらうようになった。商業主義に踊らされて、と言ってしまえばそれまでだが、単純にうれしい〉 こうなると「義理チョコ」とは呼びたくない気がする。
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「転職してほっとしています。」という若い女性の話が本当かどうか眉唾物だが、ま、実際にそういった会社も残っているのだろう。あまりにも前近代的だ。
会社には仕事をしに行っている。もちろん円滑な人間関係を構築するのも必要だが、値段を決めて義理チョコを渡さないといけない、しかもその為にかなりの金額を出費しないといけないとなるとかなり問題だ。確かに、もてない中年の小汚いおっさんなら若い女の子からチョコレートをもらったらこの上なくうれしいだろう。くれるというものを断るわけにはいかないが、暗に要求するようなことがあってはならないし、もらえなかったからといって待遇に差を付けるようなことがあってはならない。これは人間として最低限の常識だ。
私が以前働いていた会社では、年賀状、バレンタイン、お中元、お歳暮、こういった儀礼的な品物のやりとりは、社内では厳禁とされていた。結婚式と葬式の例外はあったが。
会社の通達で義理チョコなどを禁止されていなければ、女子社員はあげなければならないと感じて当然である。日本的風習の悪い面だ。そういったことを考慮して、会社から義理チョコなどは厳禁とする通達を出しておけば多くの女子社員は楽になるだろう。
または、ホワイトデーのお返しはクッキーなどではなく現金、もしくは商品券で返すようにするのはどうだろう。現金や商品券であれば自由に使うことができる。女性も投資した額以上に帰ってくるのではないだろうか。プレゼントというものは喜んでもらえるものが一番いい。
天声人語の最後に「こうなると義理チョコとは呼びたくない」とあるが、前述の中堅会社の役員も同じように考えていたのではないか。直接言葉に出して要求していない以上、もらえるものを善意と勘違いしている可能性がある。往々にして、脂ぎった中年のおっさんはこの手の判断力に乏しい。自惚れることなく、常に相手のことを考えて生活をしたいものだ。
■《天声人語批評》(2000/02/14)
本日、朝日新聞休刊につきお休みさせていただきます。
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