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■《天声人語批評》(2000/03/09)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/03/9:より引用》

 鋭い刃物で瞬時に切り取ったかのように、あるいは強烈な爆風が駆け抜けたかのように、下り電車の車両1両の側面が、窓やドアごと、すっぽりなくなっている。ほどなく否定されたが、テレビの第一報は「爆発物?で脱線か」だった。東京の地下鉄で、大惨事が起こった。

 もし、といっても意味はない。そうわかっていながら、もし、と考えてみたくなる。もし脱線しただけだったら、被害はここまで大きくはならなかっただろう、と。折あしく上り電車がすれ違い、衝突したため、事態はいっそう悲惨になった。年配者のなかには「鶴見事故」を連想した人もいたかもしれない。

<中略>

 しかし、別の「もし」もある。脱線したところへ別の電車がさしかかったとしても、もし衝突を防ぐような手だてが施されていたら、必ずしも大事故にはならなかっただろう、と。もし脱線防止のために考えられる万全の措置がとられていたら、脱線そのものが起こらなかったのではないか、と。当事者は、この「もし」を現実にする責務がある。

 地下鉄事故で亡くなった方のごめい福を祈り、負傷した方の少しでも早い回復を、と切に願う。


 いや〜、朝日らしい非常に立派な天声人語である。全く非の打ち所がない。「もし」営団が脱線防止用の補助軌道を設置していれば・・、もし、脱線しても他の線路にはみ出さないくらいの安全マージンを取っていれば・・・。

 幸か不幸か営団は創業以来事故死者を出していない。今まで安全であったからこそ、現在の安全対策がおろそかになっていたのではないかという指摘はあちらこちらから聞こえてくる。確かに各コーナーに脱線防止用の補助軌道を設置していれば今回の参事にはならなかったであろう。その点で営団には責任があるといえる。

 が、しかし、今回の事故で死亡したのはたったの4人である。負傷者を会わせても40人程度の被害しか出ていない。もちろん鉄道事故である以上、数十人規模で死者の出る大惨事に発展する可能性もあるが、それは非常にまれである。日本には一年間で一万人前後の人が死亡している身近な事故がある。交通事故である。

 ここ数年、毎年一万人前後の死者を出している。しかもこれは事故発生後24時間以内に死亡した人の数なので、実際の死者はこれを遙かに上回る。毎年これほど多くの人が理不尽な死に方(中には自業自得もあるが)をしているにもかかわらず、その対策は非常に不十分だ。

 交通安全に関わる団体としてはよく知られる警察と交通安全協会がある。これらの団体は日夜市民の交通安全のために尽力してくれている・・・・はずである。警察の運営は言うまでもないが税金で運営される。しかし、交通安全協会の運営は基本的に免許取得者から任意で徴収される「交通安全協会費」で賄われているが、収入はそれだけではない。例えば、自動車を購入したときなどは警察署に車庫証明書を取りに行く。この車庫証発行の事務をしているのが、多くの場合交通安全協会の人間である。運営費のいくらかは、こういった「手数料」によって賄われているのである。

 では、交通安全を推進するために交通安全協会はいったい何を行っているのだろう。

 まず、看板の設置。道の脇によく「死亡事故多発」とか、安全標語のような看板が立っていることがある。この一番下をよく見てみて欲しい。所轄の警察署とともに「交通安全協会」と入っている物があるはずである。もちろんすべてではないが。

 交通安全講習。たまに、地味な安全講習会を教習所などで行っている。参加する人たちは、どう考えても事故を起こしそうにない安全運転ドライバーばかり十数人集めて安全講習を行う。

 退職警察官の再就職。交通安全協会の役員の多くは元警察官である。現役時代に交通安全協会とのパイプを作り、退職後非常勤の役員などになって、年に一度の決算に顔を出し報酬をいただく。

 ざっと以上のようなことである。ちなみに、交通安全協会で働いている女の子のいくらかは警察関係者の娘である。能力が無く就職することのできなかった馬鹿娘を自分のコネで交通安全協会に放り込む。このようにして免許取得者の支払った交通安全協会費は無駄に消えていくのである。ちなみに、これは確実な数値ではないのだが、一年間に徴収する交通安全協会費のおおむね50%が、その会費を徴収するためだけのおばちゃん・おねーちゃんの人件費に消えているそうだ。これでは、交通安全のために支払っているのかおねーちゃんにチップを払っているのかわからない(チップと言っても何のサービスも受けていないが・・)。


 話がだいぶそれてしまったが、歴史には別の「もし」もある。「もし」関東大震災の時、朝日新聞が朝鮮人は暴動を起こしているという虚報を流さなければ・・・。「もし」日中戦争に突入するとき、朝日新聞が必要以上に国民を戦争にあおらなければ・・・・。もし、戦後、朝日新聞が北朝鮮を”この世の楽園”と宣伝していなければ・・・・・。もし、朝日新聞が教科書の”侵略”書き換え問題で誤報を垂れ流さなければ・・・・。「もし」従軍慰安婦問題で朝日新聞が虚報を垂れ流さなければ・・・・。朝日新聞を思うと、「もし」という言葉が次から次へと浮かんでくる。もし、虚報誤報を垂れ流さないための防止措置が適切にとられていれば、今の日本はもう少し良くなっていたのではないか、と。朝日新聞は、この「もし」を現実にする責務がある。

 関東大震災の暴動騒ぎで犠牲になった朝鮮人の方々と、その他大勢の朝日新聞の犠牲になった方々のご冥福を祈り、朝日新聞にだまされて北朝鮮に渡ってしまった日本人妻の少しでも早い帰国と人権回復を、と切に願う。


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■《天声人語批評》(2000/03/07)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/03/7:より引用》

 宇宙から降り注ぐX線を観測する衛星として天文学界の期待を集めた「アストロE」が、打ち上げロケットの異常で行方知れずとなって1カ月近くたつ。

<中略>

 だが、日本の宇宙技術が「なかなかやるではないか」と世界の研究者に注目されることもある。たとえば一昨年夏に打ち上げた日本初の火星探査機「のぞみ」の軌道修正だ。エンジンの弁が開ききらなかったせいで予定のコースに乗れなかったとき、火星到着を1999年10月から2004年に変えるという大胆な策に出た。

 「事故」は、地球の重力を利用して加速する「スイングバイ」のとき起きた。中途半端に開いた弁は、いったん閉じてやり直したら元に戻った。ところが、コースの修正に燃料を使いすぎた。

 スイングバイを繰り返せば燃料をあまり使わずにすむはずだと大急ぎで計算した。軌道変更が可能なぎりぎりの日になって、予定より3回余計に太陽を回るとうまくいくことが確認できた。「最初は気落ちしたが、太陽系を観測する貴重な時間を与えられたと思うようになった」と早川基・宇宙研助教授はいう。


 朝日新聞にも前向きな天声人語がかける物だと感心してしまった。宇宙への道は長く厳しい。であるからこそ確実な努力を積み重ねて行かなければならない。今回失敗が続いてしまったが、それでもすべての打ち上げを通すと失敗率では他の国よりも低いのだ。

 しかし、後半の「のぞみ」に関する部分をうがった見方をすれば、「国旗・国家法案やガイドライン関連法案で国のコースが右寄りになってしまったけれども、時間をかけて修正することによって左に軌道修正できる。そうすることによって支那や朝鮮から「なかなかやるではないか」と注目を集めることだろう」と主張しているとも見える。朝日新聞のことだから、そこまで知恵の回るやつはいないと思うが、しかし、敵を侮ってはいけない。奴らは狡猾で卑怯な手段を使って国民を人民に換えようと画策しているのだ。


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■《天声人語批評》(2000/03/06)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/03/6:より引用》

 たしか中身に石ころを入れた缶詰を、第一次大戦のころ日本が輸出した。そう本欄に書いた(2月22日付)。「たしか」と記憶に頼ったのがいけなかった。日本缶詰協会から資料を添えて「そのような事実はなかった」と指摘があった。そちらが正確だ。訂正します。

 ただし、この「石ころ入り缶詰」の話、案外流布している。どうしてそうなったのか。――1926年(大正15年)3月発行の『缶詰時報』に、「石の缶詰」という一文が載っている。広島の缶詰商が、父親の代のころを回想した内容だ。それによると、1894年に始まった日清戦争のさなか、石の塊が入った軍隊用の牛肉缶詰が大連(中国)で見つかった、と新聞が報じた。

 「犯人」と名指しされ、当局から「御用中止」の処分を受けた筆者の父親は、部下を現地に派遣して真相を確かめさせた。事実はまったく違っていた。缶詰を入れた木の箱(函(かん))が大連港で陸揚げされる際、船べりにぶつかって壊れた。はずみで飛び出してきたのが、石の塊と荷造り用の縄。何者かが缶詰を盗み、代わりに石と縄を詰めたのだった。

 これが「石ころ入り缶詰」と誤って伝えられた。「缶」と「函」の混同もあったのかもしれない。しかし、話にはなお尾ひれがつき、明治から大正にかけての豪商、大倉喜八郎のこととして語られた。いち早く電気やホテル業に乗り出すなど先見の明を発揮する一方、強引な商売でも知られた人物である。

 彼は軍部相手に巨万の富を築いたが、その商法は世間から糾弾されることも多く、「大倉の納めた缶詰には砂利が入っている」とのうわさも飛んだ。確認されないまま、それが、歴史関係の一部の本には事実めいて記され、あしき教訓として子どもに教える先生もいたらしい。  

 本欄の「たしか」の根源も、かつて読んだ「一部の本」だったかと思う。


 でたでた。朝日新聞お得意の誤報の垂れ流しだ。今回はすぐにこのような形で訂正したが、非常に珍しい。馬鹿な朝日新聞も少しは知恵が付いてきたんだろうか。しかし、先日の天声人語を読んでいてこの天声人語を読まなければ、昔日本はそんなひどいことをしていたとずっと勘違いすることになる。間違った風説という物は、このように低俗な新聞によって流布されてしまうといういい見本になった。

 過去日本国内において、風説の流布でもっとも悲惨な結果をもたらしたのは関東大震災での朝鮮人虐殺だ。関東大震災の直後、朝鮮人がこの機会に乗じて暴動を起こしているという噂が流れ、これを信じてしまった民衆が朝鮮人多数を殺害してしまったのである。

 しかし、この関東大震災でこのような噂の流れた経緯を調べてみるとおもしろいことが解ってくる。まず、この噂が初めて流れたのは関東ではなく大阪なのである。なんと、当時の「大阪朝日新聞」が一面トップで朝鮮人が暴徒と化していると報じたのだ。

 それまで、そのような噂は少しも出ていなかった。実際に暴動も発生していない。にもかかわらず、朝日新聞は一面トップで暴動の「事実」を伝え、朝鮮人への警戒を呼びかけたのである。それを知った被災者の人たちは自警団を作り朝鮮人の殺害へと走ったのだ。

 よく、この事件の際、軍隊や警察も一緒になって朝鮮人を殺害したように言われているが、これも全くの風説である。日本人民衆が暴徒と化して朝鮮人を襲っているという情報をつかんだ警察と軍隊は、すぐに暴動の鎮圧と朝鮮人の保護に乗り出した。その際、朝鮮人の保護を目的として多くの朝鮮人を警察署等に連行している。しかし、これはあくまで保護が目的であって逮捕するためではない。事実、殆どの朝鮮人が治安の回復後すぐに解放されている。

 朝日新聞の体質は今も昔も全く変わっていない。関東大震災のときなど、朝日新聞の虚報によって多くの朝鮮人が殺害されている。しかし、朝日新聞は何ら責任をとっていないし、そもそも責任を感じてもいない。

 「ペンは剣よりつよし」とよく言われる。朝日新聞は過去に「ペン」という凶器を使って朝鮮人を多数殺害した。また同じ凶器によって日本を日中戦争から大東亜戦争に突入させてしまった。こんなキチガイに「ペン」という凶器を持たせたままでよいのだろうか。いいわけはない。我々は「ペン」という凶器を振り回す朝日新聞に対抗しなければならない。何年か前、朝日新聞の地方の支社で、朝日新聞の記者が猟銃で殺害される事件があった。たしかに「ペン」という凶器の前では銃ですら威力不足であろうが、少しずつでも朝日新聞に対して抵抗を続けていかなければならない。すべては日本の未来のためである。


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■《天声人語批評》(2000/03/05)

■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/03/5:より引用》

 「人類の敵」「ジャングルの野獣」と検事が告発する。「血に飢えた犬」と傍聴人がののしる。しかし、被告席の男はそんな異様さを感じさせない。用心深くて神経質な能吏、くらいにしか見えない。

 検事の尋問に彼は答える。「その通りですが、それは私の罪ではありません」。検事の念押しに重ねて答える。「遺憾なことですが、それは私の罪ではありません」。そして最後に言い放つ。「私は心の底では責任があるとは感じていません」

 彼は、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン。ユダヤ人虐殺にかかわった戦犯として、1961年にイスラエルで裁判を受け、死刑になった。その法廷の未公開記録映像をもとに作られた映画『スペシャリスト――自覚なき殺戮者(さつりくしゃ)』が、東京と大阪で上映されている(名古屋などでも上映予定)。

 なぜ罪を認めないのか。「私は命令に服従しなければならず、それを実行しなければならなかった」と、彼は言い募る。上官に忠実だっただけであり、同じ立場なら、だれもが同じことをしただろう。だから人道的にはともかく、法的な責任はないのだ、と。

 この弁明に、裁判を取材したユダヤ人政治思想家ハンナ・アーレントは当時、『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)を書いて反論した。〈君がしたことの現実性と他の人々がしたかもしれぬことの潜在性とのあいだには決定的な相違がある〉。事情はどうあれ、実際に「服従」したことそのものに罪があるのだ、と。

 服従は、個人にとって常に不本意であるとは限らない。他人の言うなりにやり過ごす日常は、一面で気楽であり、時に甘美ですらある。何も考えないですむし、いっさいの責任を逃れられるようにも思えるから。

 これはひとごとではない。警察での不祥事や国旗・国歌の扱いぶりに見るように、日本の社会でもなじみ深い風景である。

 久しぶりに朝日新聞のキチガイぶりを発揮した天声人語だ。どうして朝日新聞には、こんなにもキチガイしかいないのだろうか。日本中のキチガイを意識的に集めているとしか思えない。

 ナチスの幹部たちは戦後その殆どが裁かれた。罪状は人道に対する罪や殺人罪など多岐にわたったが、殆ど有罪の判決が下っている。しかも、戦後すぐドイツで行われた裁判ではなく、当時国家形態すらとれていなかったイスラエルの事後法で裁かれた人も数多くいた。アイヒマンもその一人だ。

 犯罪とは、それを行った時点でその国家の法律に違反していないと成立はしない。これは現代法体系の基本中の基本だが、第二次大戦後の裁判では全く無視されてきた。上記のアイヒマンにしても、ユダヤ人を虐殺した時点でイスラエルの法律に触れていなかったにもかかわらずイスラエルの手によって死刑にされた。これは裁判などと呼ばれる物ではなく、復讐によるリンチである。 

 もし、アイヒマンを裁くことができるとすれば、それはドイツ国内においてである。ユダヤ人の組織的虐殺は、当時のドイツ国内法に違反していた。上官の命令であろうと、彼の所属する国家の法律を破っていいわけではないのだ。そういった意味でアイヒマンにも責任はある。しかし、これはイスラエルで裁かれる犯罪ではない。

 また、昨今の警察不祥事での警察官の対応だが、例えば神奈川県警の例で見ると、現職警察官の違法行為を知りながらそれを隠していた。神奈川県警本部長ら数名は起訴されたが、中間で上司の指示を受けていただけの警官は処分を受けていない。理由は、犯罪を知ってはいたが、上官の指示に従っただけなので積極的に関与してはいなかったからだという。

 しかし、犯罪を知っていたにもかかわらず上司の命令ということでそれを見逃すようなことがあってはならない。これは警察法でも刑法でも禁止されている行為である。その意味で、上司の命令を聞いていただけの警官にも責任はある。

 しかし、なぜここで「国旗・国家」が出てくるのだろう。国旗国家法案は、国民の代表たる国会議員の賛成によって可決している。また、無作為にアンケートを採っても必ず70%以上の人が賛成している。国旗国家法案は国民的合意の元に可決された法案である。そういえば、国旗国家法案が可決した折りの朝日新聞の天声人語でも、「民主主義が死んだ」と書いてあった。

 朝日新聞は「民主主義」をどのように考えているのだろうか。国民が普通選挙によって選んだ国会議員の大多数が賛成し、国民の大多数がこれを支持している。それに基づいて文部省が卒業式でも国旗国家の扱いを指導している。非常に民主主義的手続きがとられているにもかかわらず、朝日新聞はこれを「民主主義」ではないという。おそらく、朝日新聞の主張自身が「民主主義」であって、それ以外は「民主主義」ではないのだろう。北朝鮮労働党や支那共産党、そしてドイツ国家社会主義労働者党(いわゆるナチス)を彷彿とさせる暴挙である。おそらく、世の中でいわゆる不徳とされることや、大虐殺といったことは朝日新聞の社員のような連中が起こすのだろう。

 こんな連中ははっきり言って日本には居て欲しくない。そんなに日本がいやなのであれば、彼らの好きな北朝鮮や支那に亡命すればすむことであろう。きっと快く迎え入れてくれるに違いない。朝日新聞の言うところの「人権」と「民主主義」が完全に実施されている国なのだから。



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