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■《天声人語批評》(12/04/29)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:12/04/29:より引用》
きょうは「みどりの日」。昭和時代の戦前なら「天長節」であり、戦後は「天皇誕生日」だった。この祝日を「昭和の日」に改めようという法案が、国会で審議されている。 ことし3月末、連立を組んでいた自民、自由、公明の与党3党は、来年から4月29日を「昭和の日」に変え、「みどりの日」は5月4日とする祝日法改正案を提出した。「昭和の日」の趣旨は〈激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす〉ことだという。 自民党の当初の案は〈……昭和の時代をしのび……〉という表現だった。しかし、これだと「特定の人物を思い起こさせる」(公明党幹部)との意見が出て、字句を改めた。特定の人物とは、もちろん「昭和天皇」を指す。「しのび」を「顧み」にすれば、その辺りがぼかされる、ということらしい。 昭和天皇が1989年1月に亡くなったあと、政府は、(昭和)天皇誕生日を祝日として残す方向で動いた。官房長官の私的諮問機関は、「みどりの日」の名前で継承するという結論を出し、国会でも目立った議論なしに成立した。「昭和の日」案はそのときからあったが、野党の反対を恐れ候補から外されたともいわれた。 字句修正の経過でも明らかなように、「昭和の日」には「昭和天皇誕生記念日」の性格が色濃くにじむ。激動の60余年。それが昭和だった。長く続いた大きな戦争があった。戦争に直接かかわらない、長い平和な期間があった。光があり、影があった。貧しさがあり、好景気があった。昭和天皇への、また昭和という時代への評価はさまざまだ。 しかし天皇をめぐる論議は、とかく回避されがちだった。共産、社民両党は「昭和の日」に反対。民主党も反対を正式に決めた。なぜ反対か。なぜ賛成なのか。国会の内で外で、深みある議論を、と願う。 |
4月29日の「みどりの日」を「昭和の日」と改め、昭和大帝のご遺徳を偲ぶのに、いったい何が悪いというのか。公明党よ。お前らは池田大作の誕生日を祝日にしたいのだろう。この世には日蓮と池田大作以外に尊いものはないと思っている連中が政権にいる限り、「特定の人物を思い起こさせる」(公明党幹部)などとくだらないことを言い続けるのだ。
朝日新聞よ。お前らはどこまで失礼な連中なんだ。昭和大帝に対して「亡くなった」とはどういう表現だ。「おかくれになった」または「崩御された」が正しい使い方だ。お前らの大好きな支那でさえ「衣食足って礼節を知る」ということわざがあるくらいだぞ。この礼儀知らずが。衣食が足っていないのか。礼儀知らずな野蛮な猿どもだ。
「しかし天皇をめぐる論議は、とかく回避されがちだった」 だあ〜〜???? ふざけるな。天皇陛下をめぐって何の議論が必要だというのか。子供にとって父親が必要なように、日本国民にとっては天皇陛下が必要なのだ。そんなことも解らないのか。このバカで野蛮な猿ども。お前らみたいなできの悪い子供でも、天皇陛下は分け隔てなく愛して下さっているのだぞ。少しはそのご慈愛に気付け。まるで、親の心子知らずを絵に描いたような連中だ。こんな連中でも、クオリティーペーパーを自認し、教育問題に意見する。まるで、暴走族が「大人って、俺たちのことを解ってくれねーんだよなー」と言っているようなものだ。自分たちがおかしいことに早く気付け。このガキども。
4月29日を「昭和の日」とし、国家をあげて昭和大帝のご遺徳を偲び、国民の天皇陛下に対する忠誠を確たるものにしたいものである。
■《天声人語批評》(12/04/20)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:12/04/20:より引用》
「鳩山さんにしては、実に思いやりのない話だと思いますよ。みなさんがご家庭のなかで、家人が病気になられたとしたら、できるだけその病状について慎重にみてゆくものだ、ましてや総理大臣ならなおかつのことではないでしょうか」。 きのうの党首討論で、森喜朗首相はそう言った。小渕恵三前首相の病状がいっさい、正確に伝わっていないではないか、という民主党の鳩山由紀夫代表の問いに対する答えである。「実に思いやりがない」とは、ずいぶん思い切った非難だ。先日の野中広務自民党幹事長の代表質問を思い出す。 鳩山氏が代表質問で「心からお見舞い申し上げる」と述べたのに対し、野中氏は「先ほどお見舞いの発言をいただいたが、小渕前首相の心と身をボロボロにした原因のいくつかが鳩山氏の発言にあったことを思うと、あまりにも白々しい発言だ」と突き放したのだった。鳩山氏の発言とは、党首討論で前首相に迫ったことを指す。 「首相」としての小渕氏は、もちろん公人だった。党首討論の場で首相に疑問点をただすのに何の不思議もない。首相の病状について、事実を知ろうとするのも当然のこと。しかし森首相も野中幹事長も、「私人・小渕」の部分だけを強調し、「公人・小渕」を隠ぺいしようとする。「家人が病気に……ましてや総理大臣なら」などと、もっぱら情緒に訴え、疑問を呈する相手を逆に攻撃する。 記者たちは再三、医師団による病状説明を求めたが、青木幹雄官房長官は「家族の了解」などを盾に応じようとしない。入院先の病院も要請にこたえない。「密室の談合」(鳩山氏)という疑念は無視し、「志なかばで倒れた首相」の悲劇性が言い立てられる。 「おかわいそうに」と同情を引いて、前首相の政治的な功罪を検証させないような空気を醸し出そうとする。間近な総選挙への備えなのである。 |
やはり、「間近な総選挙への備えなのである」と締めくくる。自民党の言動は、どうあっても「選挙活動」にうつってしまうんだろうな、この連中は。ま、それが選挙活動だって良いじゃないか。それを判断するのは朝日新聞ではなく国民である。少なくとも民主主義に於いて少数であると言うことは敗北を意味する。数を集めなきゃならないんだから、利用できる者は何でも利用する。もちろん合法的な範囲内で。それが民主主義だと思っていたが、違ったのかな。
そういった「リアリティ」を一番追求しているのが自民党じゃないのかな。だから常に最大与党でいられるんだよ、あそこは。他の政党なんて、見るも無惨だからね。社会党なんて、いつの間にか社民党って名前を変えてるし。ああ・・無情・・・
ところで、「おかわいそうに」と同情を引いて、前首相の政治的な功罪を検証させないような空気を醸し出そうとする。 とあるが、こういった空気を醸し出すことにかけては、朝日新聞がもっとも長けているんだから、自民党にも教えてあげればいいのに。
長良川河口堰の時も、諫早湾干拓でも吉野川可動堰でも、その計画に反対しないのは人間じゃないとばかりにキャンペーンを張って、プロジェクトの功罪を検証させないような空気を醸し出していたのはどこの誰だったかね。まったく朝日新聞の連中は鳥頭ばっかりだ。三歩歩けば全て忘れてしまう。あ〜〜あ、悩みなんて無いんだろうな。羨ましい。
朝日新聞が醸し出す「南京大虐殺を嘘というのは非国民」「従軍慰安婦には謝罪と補償」「国家プロジェクトは全て環境破壊」といった硬直した空気を壊して、朝日新聞の功罪を検証していこうではないか。
おっと間違えた。朝日新聞に「効」なんてないから「罪罪」の検証か。
■《天声人語批評》(12/04/17)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:12/04/17:より引用》
着慣れないスーツ姿でビジネス街を歩いているのは、今春入社の新人社員ばかりではない。この時期、来春卒業予定の学生も就職活動の勝負どころを迎え、懸命の企業回りが続く。 「買い手」優位の昨今、内定獲得まで2年がかりという例も珍しくない。都内の私大を巣立ったばかりの若い知人が、そう嘆く。彼女に「うっかり卒業」という言葉があると教わった。留年して再挑戦するはずが、誤って単位を満たしてしまい、在籍できなくなる事態をいう。既卒者に開かれた門は新卒より狭い。 就職戦線は、ここ1、2年で著しく電脳化された。会社説明会の案内から志願書の受け付け、採否の通知に至るまで、インターネットを利用する企業が増えた。体験にもとづく実戦的なノウハウ情報や、人事担当者の本音を探る口コミ的な裏情報も、ネット上を大量に行き交う。 「リクナビ」とか「ジョブウェブ」と呼ばれる就職情報サイトと無縁で過ごせる学生は、もう例外的な存在らしい。企業も、パソコンひとつ使いこなせない者は即戦力にならないと見ている。情報技術の有無が人々の優劣、貧富を分け、国家間の格差を作るという「デジタル・デバイド」の問題が、ここではすでに死活的な現実だ。 情報化ということについて、解剖学者の養老孟司さんが書いていた。――情報は今日、世界を飛び回っているように見えるが、実はすべての情報は一度表現されれば、その状態で〈止まってしまう〉。二度と同じ状態をとらない生き物との違いである。同じ映画を何度見ても感想が毎回違うことを考えれば、得心がいく(昨年11月21日付の毎日新聞)。 どんなに多く、速く情報を集めても、人の心の動きまで効率化することはできない。先の彼女は、「情報取ったもん勝ち」の就職活動にうんざりした。戦列を離れ、当分アルバイトで暮らすそうだ。 |
この天声人語に出てくる「彼女」って、実在するんだろうか。朝日新聞の真実を知ってくると、悲しいことに人間不信に陥ってしまう。
それはともかく、就職難就職難と言っているけど、本当に就職難なのかな。小さな町工場なんか、働き手が無くて困っているところがいっぱいあるよ。そういうところが、悪いと知りながら「不法入国してきた三国人」を雇ってしまう。
「情報取ったもん勝ち」の就職活動にうんざりした。戦列を離れ、当分アルバイトで暮らすそうだ。
とあるように、インターネットで人材募集するような、いわゆる優良企業に対しては就職活動を行うが、そうでない中小企業に対しては就職活動すら行わないと言っているようなものである。朝日新聞の記者は「職業に貴賤なし」という言葉を知らないのであろうか。
いずれにせよ、学生のわがままなモラトリアムを奨励し、何の目的もないフリーアルバイターを増やすような論調はいただけない。国家の根幹に関わることである。まあ、朝日新聞はアナーキーが信条だから、大企業に組み込まれて資本主義の手先として働くことなど、とてもではないが許せる行為ではないのであろう。まったく、本当に朝日新聞って子供なんだから。
■《天声人語批評》(12/04/15)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:12/04/15:より引用》
〈韓国では、溺(おぼ)れた人の中で真っ先に助けられるのは政治家といわれる。「なぜって、水が汚れるから」。その政界の大掃除が始まった〉。これは韓国の総選挙を扱ったアエラ3月6日号の記事の書きだし。 結果は、相当な大掃除になったようだ。大物政治家が落ちた。長老も駄目だった。30代の若手、つまり軍事政権に抗し民主化をかちとった世代が躍進した。女性の当選者も増えた。では選挙への関心は高かったか。実は、投票率も落ちた。57.2%。史上最低、初めての50%台だった。 理由の一つは、候補者の欠点、問題点が目立ちすぎたからだ。と、朝鮮日報などが選管関係者の分析を伝えている。こんどの選挙では、候補者の納税額、兵役経験の有無、犯罪歴の公開が義務づけられた。市民運動の高まりの中、2月に法律が改められたためだ。市民団体はまた、政党が公認すべきでない候補者のリストを発表、さらに踏み込んで「落選運動」を展開した。 腐敗や汚職の前歴、議会の出席率、法案や政策の理解度が低い、など7つの項目に照らし、落選させたい候補者を名指ししたのだ。それやこれやで裸にされた候補者の姿は、想像以上に無残だった。候補者同士も、とかく「財産税を納めていない」「軍隊に行っていない」などと、ののしり合いに精力を傾けた。 有権者はすっかり幻滅した。「投票したい候補者がいなくなった」という人が目立ち、それが投票率低下の一因となった。韓国紙は、そう解説する。しかし、そうした面はあったにせよ、「無能・腐敗政治家を当選させないのが何よりの政治改革」という市民団体の目的は、かなりのところまで達せられたといっていい。 「落選運動」などを、そのまま日本に移すのは簡単ではなかろう。だが「無能・腐敗政治家を当選させない」という燃えるような思いには学びたい。 |
いいね、南朝鮮は大掃除ができて。帝国においても大掃除をしたいよ。マスコミの。しかし、冒頭の<韓国では、溺(おぼ)れた人の中で真っ先に助けられるのは政治家といわれる。「なぜって、水が汚れるから」>って、本当に朝鮮人の多くが言ってるの?朝日新聞ソウル支局の人間が言ってるだけじゃないの?怪しいな〜〜。
ま、政治の汚職は李王朝からの朝鮮の得意分野だから、表面的に掃除ができても実際はどうだか。汚職は日本の比じゃないからね。
南朝鮮では政治家に不適当な項目をあげて、立候補者を採点したらしいけど、日本でもマスコミに不適当だと思われる項目を作って、新聞社を採点してみてはどうだろう。例えば、
・虚偽の事実を捏造しない
・誤報を流さない
・誤報を流したら確実に訂正し謝罪する。
・外国勢力と結びついて日本の政治を混乱させない。
・道徳やモラルを否定しない。
・社員が痴漢をしない。
これで採点したら朝日新聞は間違いなく0点だね。未だに800万部以上の発行部数があるというのが信じられない。朝日新聞を購読している人も、早く真実に目覚めてくれればいいのに。
その手助けをするためにも、我々の手で、「不買運動」を進めていこう。朝日の読者を幻滅させ、「読みたい新聞が無くなった」と言わせよう。「無能・腐敗新聞を読ませないのが何よりの新聞改革」である。4月2日から朝日新新聞に生まれ変わると言うから少し期待していたのに、全く変わって無いじゃないか。社員は痴漢を働くし。無能な新聞には自己改革の余力もないのか。しかし、南朝鮮の「落選運動」をこれだけ評価しているんだから、朝日新聞に対して堂々と「不買運動」を行っても、「威力業務妨害」なんて言うなよ。こんどKIOSKの前で「朝日新聞不買運動」してやるからな。
すぐに「朝日新聞不買運動」をそのまま帝国で実施するのは容易ではなかろう。だが「無能・腐敗新聞を読ませない」という燃えるような思いを広めていこう。
■《天声人語批評》(2000/04/12)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/04/12:より引用》
複数の読者から、今回の密室での政権継承劇は、秦(しん)の始皇帝の譲位の状況とどこか似ているのではないだろうか、という手紙をいただいた。司馬遷の『史記』に、その記述がある。 始皇帝は威光を示すため生涯に5回、全国を巡幸した。最後となった南方への旅には、大臣の1人、李斯(りし)と宦官(かんがん)の趙高(ちょうこう)、それに末の息子の胡亥(こがい)が供をした。巡幸途中で始皇帝は病を得て、からだは日々衰えた。そこで「長男に帝位を譲る」と記した親書をつくった。 紀元前210年の夏、始皇帝の命は尽きた。しかし、都から遠く離れた土地だったため、混乱を懸念して、異変は固く秘された。事実を知っていたのは趙高、胡亥ら数人だけだった。趙高は宦官という立場上、日ごろから皇帝の近くにいたのである。 趙高は始皇帝の親書を盗み見て、李斯や胡亥と策を練り、親書を偽造した。つぎの皇帝には、本物の親書の指定した長男でなく、末子の胡亥を立てるという内容である。そのうえで、故始皇帝を載せた車を都へと向けた。 周囲が異状を感じても、車に近づけるのは趙高ら限られた人間だけだ。彼らはあの手この手でごまかして帰京に成功。初めて事実を公表し、計画通り胡亥を帝位につけた。趙高はその後、李斯を獄死させ、みずからは大臣となって権力を振るう。 読者の手紙には〈小渕前首相はいま病魔と懸命に闘っており、やや乱暴な連想かもしれませんが〉とあった。その点は、その通り。ただし一方で、権力をめぐるこの史実には、そうした連想も無理からぬと思わせる部分もある。国会答弁で青木官房長官は「臨時代理に」という前首相の指示は、実はなかった、と記者会見での発言を翻した。 この虚言だけでも重大だが、疑問はほかにも多い。時間を追った病状の変化、病室への人の出入りまでふくめた医師団の詳細な会見を、まずは開くのが筋だろう。 |
小渕全総理も、かの始皇帝と同等に扱われるとは政治家冥利に尽きるというものだ。歴史上始皇帝と並び称される為政者はアレキサンダー・チンギスハーン・ヒトラーくらいだろう。小渕さんも出世したものである。
さて、朝日新聞の記者には、今回の小渕前首相入院の顛末が秦の始皇帝の崩御(ASSAHI新聞は支那の皇帝に対しても礼を失することはしない)のときと酷似しているように見えたらしい。ちょっと検証してみよう。
まず、小渕前首相に後を託されたという青木官房長官。これは「趙高」であり、跡を継いだ森首相は「胡亥」に相当する。とすると、青木官房長官はかなりの野心家である。自分の権力欲のために小渕前総理の言葉を捏造し、まず自分が首相代理になって傀儡である森喜朗を新総理に仕立て上げたのである。おお、恐ろしい。何という策謀であろう。この平和な日本においてこのような政争が行われていようとは思いも寄らなかった。小渕前首相が倒れたのも、もしかすると青木官房長官に毒を盛られたためかもしれない。筆者は秦の始皇帝ではなく、レーニンの跡を継いだスターリンや、ジオンの跡を継いだザビのことを連想してしまった。
そんなわけねーよ。朝日新聞は日本をなんだと思ってるんだ。朝日新聞が愛してやまない支那や北朝鮮じゃあるまいし、常識的に考えてそんな策謀があるはずがない。
「国会答弁で青木官房長官は「臨時代理に」という前首相の指示は、実はなかった、と記者会見での発言を翻した。」
というのにしても、大平首相の時もそうだったが、首相が公務を遂行できないときには官房長官が代理を務めるというのが慣例となっている。それだけで十分ではないのか。それに、直接的に「臨時代理に」とは言われなかったが、「もしもの時は後のことはよろしく頼む」と言われたそうである。いずれにしても臨時なので、すぐに国民の審判を受けた国会議員によって次の首相が決まるのだから、臨時代理としては十分であるはずだ。
しかも、朝日新聞は青木官房長官の発言を「虚言」と言ってのけている。いやはや、まさか朝日新聞が臆面もなく他人様の発言を「虚言」扱いするとは、今までの自分自身の行動を全く反省していないのだろう。というより、こいつは確信犯である。自分自身には虚言を発信して世論を操作する権利が与えられているが、他人は意味的には同じことを言っていたとしても、少しでも事実と違えば「虚言」扱いできると本気で考えているのだろう。青木官房長官もかわいそうだ。キチガイにキチガイ扱いされたようなものである。
この虚言だけでも重大だが、疑問はほかにも多い。時間を追った病状の変化、病室への人の出入りまでふくめた医師団の詳細な会見を、まずは開くのが筋だろう。
と、朝日新聞は述べるが、果たしてそこまで詳細な情報は必要なのだろうか。ここまでくると低俗な写真週刊誌と何ら変わりはないではないか。確かに情報が全くでてこないのであれば不健全ではあるが、しかし、政府の発表として時系列を追って首相であったときの小渕氏の病状は明らかになっているではないか。青木官房長官の記者会見の際、朝日新聞の記者は居眠りをしていたのだろう。しかも、病室の出入りまで詳しく発表しろとのことだが、さすがにこれは個人のプライバシーに関わることである。青木官房長官の記者会見で、主な政治家の病室への出入りについての発表はあった。居眠りをしていた朝日新聞の記者が聞いていなかっただけである。
小渕前首相の病状の発表は十分である。すでに過去の人となった小渕前首相のプライベートな件に関しては、写真週刊誌に任せればいいではないか。天下の大新聞がゴシップ紙のようなことを言うな。なんとも情けない限りである。
■《天声人語批評》(2000/04/11)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/04/11:より引用》
野口米次郎という詩人がいた。明治の中期に米国で学び、帰国後は慶応大学で教えた。著名な彫刻家イサム・ノグチの父でもある。 1923年(大正12年)の関東大震災のあと、野口は新聞に寄稿した文章で、それよりかなり前に起こったサンフランシスコの震災に触れた。――遭遇した知人の話では、火に追われ対岸に船で逃げる際も、米国人たちは秩序正しく女性や子どもを優先した。在住日本人も、米国市民と同等に扱われ、何の差別もなかった。 ところがこんどの震災で、われわれ日本人は無秩序のきわみだったではないか。無節操な国民といわれても仕方ないではないか。〈又(また)朝鮮人に対する流言蜚語(りゅうげんひご)はどうです。米国人が日本人に対する以上に、朝鮮人には同情すべき筈(はず)の関係ではないでせうか〉。 <中略> 落ち着いて考えれば、およそあり得ない話ではないか、というのである。しかし、多くの人が流言にとらわれた。混乱の中で、推定約6000人もの朝鮮人が虐殺された。殺したのは日本の軍隊、警察、それに自警団などの民間人である。萩原朔太郎の「近日所感」と題した詩。〈朝鮮人あまた殺され/その血百里の間に連なれり/われ怒りて視(み)る、何の惨虐ぞ〉。 自衛隊の式典で、石原慎太郎都知事は「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。大きな災害では騒擾(そうじょう)事件すら想定される」とあいさつしたそうだ。「想定」というより「流言」に近いのではないか。 |
いや〜〜〜、恥知らずとは朝日新聞のような連中のことを指すのかと、つくづく思い知らされる。確かに関東大震災では流言飛語が飛びかい多くの朝鮮人が殺された。では、その原因を作ったのはいったい誰なのだ。そして、民衆をあおり立て、虐殺へ走らせたのはいったい誰なのだ。
ASSAHI新聞でも何度か取り上げているが、関東大震災の時、朝鮮人が暴動を起こしていると真っ先に報じていたのは「大阪朝日新聞」である。暴動など起こってもいないのに、すでに多くの商店が略奪にあい、日本人が殺害されたと報じた。その情報を元に、被災地の各地で自警団が組織され朝鮮人の虐殺が起こったのである。事実かどうかも確かめずに、捏造した記事を平気で書くことは、まさに朝日新聞のお家芸だ。この体質は80年たった今も全く変わっていない。
しかも、この天声人語の書き方だと、軍隊や警察が中心になって虐殺したかのような印象がある。たしかに、亀戸(かめいど)事件や甘粕事件などの軍隊が起こした殺人事件があるが、これは無政府主義者や共産主義者の数名を軍が殺害したと言うだけの話であって、朝鮮人の虐殺については朝日新聞に踊らされた自警団が中心になって行っているのである。軍隊や警察は、朝鮮人を保護するための具体的な活動を実際に行っていたのである。
そして今回の石原都知事発言だ。この発言を朝日新聞では以下のようにつたえている。
「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。大きな災害では騒擾(そうじょう)事件すら想定される」天声人語(12/04/11)
「三国人(さんごくじん)、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害では騒擾(そうじょう)事件すら想定される。」assahi.com(12/04/10)
確かに、話した内容としては間違いではない。しかし、朝日新聞の記事には石原都知事の発言した決定的な内容が意図的に書かれていないのである。朝日新聞に載っている石原発言は、その発言の最初の部分が意図的に削除されている。では、石原都知事はどのように述べたかというと「不法入国してきている三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。」と述べているのである。朝日新聞では意図的に「不法入国してきている」の部分を削除して報道し、あたかも正式に入国してきている外国人や、永住資格を持っている外国人まで犯罪者扱いしたかのように情報を操作する。全く姑息で卑怯なやり方である。
石原都知事の挨拶を、脳細胞の欠落した朝日新聞の記者にも解るようにかみ砕いて表現すると以下のようになる。
「不法な手段によって日本国に侵入してきている支那人を中心とする不逞な外国人(不法入国自体がすでに犯罪であるので、まだ警察につかまっていない犯罪者ということになる)が、凶悪な事件を繰り返している。そういった犯罪者が震災の混乱に乗じてさらに略奪などの犯罪を重ねる可能性がある。」
全くの正論ではないか。犯罪を犯し、つかまって服役し刑期を終えた人間に対して公の人間が犯罪の可能性があると言えば、内容としては正しくとも社会的な非難を受けることになるだろう。しかし、石原都知事が言及したのは、今現在犯罪を犯しつつある外国人に対して警戒を呼びかけただけであり、パスポートを正式に取得してきている外国人や、永住資格を持つ外国人についてはいっさい言及していないのである。
朝日新聞よ、恥を知れ。80年前は自ら流言飛語を流し朝鮮人6000名あまりを殺害し、その罪を軍隊や警察になすりつけ、そして反省など全くしないで、今また、石原都知事の言葉をねじ曲げて報道し世論を操作する。自らの行った罪に対して全く反省せず、実際に犯罪を行ったのは自分ではないと言って責任を逃れようとする麻原彰晃そっくりだ。
■《天声人語批評》(2000/03/21)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/03/21:より引用》
『悲情城市』という映画があった。1989年のベネチア国際映画祭で、グランプリを獲得した傑作だ。台湾の最高指導者である総統の選挙結]果を見て、この作品を思い浮かべた人がいるかもしれない。 日本の敗戦で、台湾は半世紀におよぶ日本支配から解放された。入れ替わって大陸から「外省人」と呼ばれる人たちが乗り込んで来て、支配者の位置に就く。「犬(日本人)が去って豚(中国人)が来た。犬は]小うるさいが、家の番はできる。豚はただ食って寝るだけだ」。そんなことばが流れた。 台湾で生まれ育った多数派の「本省人」を見舞ったのは、少数派の外省人による圧政と腐敗だったのである。47年2月、本省人の不満は爆発する。「二・二八事件」だ。きっかけは、やみたばこ売りの女性に取締官が乱暴したこと。抗議行動が全台湾に広がった。当局は激しい弾圧でこたえた。無差別に銃弾が飛んだ。投獄、処刑が横行した。 『悲情城市』は、この時期の本省人民衆の姿を、港湾都市・基隆(キールン)に住む大家族を通して描いている。人びとは事件で引]き裂かれ、夢を失い、血を流す。殺された者は1万8000人から2万8000人といわれるが、はっきりしない。事件以後も繰り返された数々の弾圧をふくめ、いっさいが現代史の禁句とされたからである。 表だった記録は残されなかった。教科書に載ることなど、むろん、ない。『悲情城市』が制作されたのは、だから40年近くにおよんだ戒厳令が、ようやく87年に解かれて以後である。台湾の主体性を重視する野党、民主進歩党の結成も、戒厳令解除が間近な時期だった。 そして、さらに10余年。今度の選挙で、外省人を核としてきた半世紀にわたる国民党の政権は、退場することになった。入れ替わって民進党の本省人、陳水扁氏が総統の座に就く。歴史の流れに沿った登場のように思える。 |
いやー、確かに国民党は台湾に来たときにひどいことをしている。本省人たちが日本軍と一緒になって支那と戦ったことが許せなかったのだろう。ま、その事実はおいておいて、朝日新聞は国民党を非民主的で暴力的な政党だと主張する。さらに、「陳水扁氏が総統の座に就く。歴史の流れに沿った登場のように思える」とくくっている。なるほど、朝日新聞によれば非民主的な国民党が衰退し、反体制的な民心党が政権を執ることが歴史の流れだという。いったいどういう歴史観なんだろう。
朝日新聞は国民党が起こした「228事件」を非難するが、支那共産党の文化大革命を非難したところを見たことがない。「228事件」では犠牲者は18000人から28000人といわれるが、文化大革命での犠牲者は2000万人から3000万人といわれる。この大虐殺を朝日新聞はひたすらに隠し支那共産党を擁護する。チベットでは100万人規模の大虐殺が行われたが朝日新聞は見て見ぬ振りを決め込む。さすがに中国四千年の歴史は虐殺の規模が雄大である。先日の天声人語にあったが、チャップリンの「一人を殺せば犯罪者だが、100万人を殺せば英雄だ。数が行為を神聖化するのです」の皮肉を地で行っているのが朝日新聞である。おそらく国民党が行った2万人程度の虐殺では朝日新聞様は認めてくれないらしい。やはり、チャップリンの言うように100万人は殺さないと朝日新聞様は認めてくれないようだ。
朝日新聞様の「歴史の流れ」だと、普通選挙を一度も行ったことがなく、信教の自由も表現の自由も認めていない支那共産党はこれからどうなるのであろう。朝日新聞は支那共産党が世界を統べることを夢見ているのだろうか。
■《天声人語批評》(2000/03/19)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/03/19:より引用》
「英雄」とは何だろうか。 帰国した日本赤軍の4人は逮捕・収監されたが、岡本公三容疑者(52)だけはレバノンへの亡命が認められた。イスラエルと戦争状態にある現地レバノンでは、彼はパレスチナ解放闘争の「英雄」なのである。 イスラエル・テルアビブの空港で日本人ゲリラが自動小銃を乱射、旅行客多数が死傷。1972年のあの事件の直後、本欄は〈犯人が日本人だと聞いて、思わず立ちすくんだ〉と書いた。国際社会も凍りついた。しかしアラブ側の、とくに民衆の間では、岡本容疑者は最初から称賛のまとだった。 ベイルートの街では「英雄的行動」をたたえる演説があり、アラブ人の新聞記者が「さすが日本人だ。よくやった」と日本人記者に握手を求めてきた。当時の新聞は、そう伝える。一方から見れば残虐きわまるテロリスト。だが同じ人物の同じ行為が、もう一方の側には「英雄」として映る。どうにもやりきれない思いにとらわれる。 けれども目を転じると、そうした例は枚挙にいとまがない。たとえば「奴隷解放」で知られるリンカーン。アメリカ南部諸州では、彼は「南部経済の破壊者」であり「北部からの侵略者」と位置づけられがちだった。リンカーンの生誕記念日も、南部のいくつかの州では祝日とはしていない。 豊臣秀吉は日本では昔から愛され、テレビの大河ドラマにも繰り返し登場してきた。しかし韓国では、まったく事情が異なる。秀吉は朝鮮半島に出兵し、当時の記録によれば、その軍隊は暴虐の限りを尽くした。この「侵略者」の水軍を打ち破った将軍李舜臣は、韓国の国民的英雄となっている。 名画『チャップリンの殺人狂時代』では、チャプリン演じる殺人犯が「英雄」を定義する。「一人を殺せば犯罪者だが、100万人を殺せば英雄だ。数が行為を神聖化するのです」。戦争を風刺して、痛烈だ。 |
「英雄」の定義など、国家や民族によって違うと言うことだ。朝日新聞はこんな簡単なこともわからないのか。
岡本公三はテルアビブで銃を乱射しユダヤ人を多数殺害した。これに対してイスラエルを支持する国家から非難され、イスラエルに対立するアラブ国家から「英雄」扱いされることは至極当然のことだ。
アラブ国家にしてみればイスラエルのユダヤ人は侵略者でありアラーの敵である。アラブ人はアラーの神を絶対視しているが、キリスト教徒やユダヤ教徒とは違い異教徒に対しては寛容である。これは、武力による恫喝によってイスラム教に改宗させても真の信仰は生まれないという認識があるからだ。現在のアラブ諸国の中にも、キリスト教徒やユダヤ教徒は多く生活し、イスラム社会ともある程度とけ込み共存している。しかし、イスラム教に対する冒涜と侵略に対しては過激な反応を示す。イスラム教徒はアラーを冒涜するものは絶対に許さない。また、世界中のどの地域にいても、イスラム教徒は兄弟であり家族であるという認識がある。そこに、突然ユダヤ人が大挙して押し寄せ、現在のパレスチナに住んでいたアラブ人を問答無用で排除し住みついた。ちなみに、元々パレスチナ地域は昔から住んでいたユダヤ人も数多くいたのだが、第二次大戦後になって押し寄せてきた外来のユダヤ人によって土地を追われたネイティブなユダヤ人も少なくない。
そして、アラブ諸国とイスラエルは過去四回に及ぶ戦争を経験して、その度にイスラエルの圧勝に終わっている。このような背景の中で、田中公三一派がユダヤ人を虐殺すれば、アラブ諸国で英雄扱いされて当たり前ではないか。この世には普遍的な正義など存在しないというよい事例である。
我が国にも、過去幾多の「英雄」達が存在している。「東郷平八郎」「乃木希典」「爆弾三勇士」「九軍神」「山本五十六」「加藤隼戦闘隊の加藤建夫」などなど・・・
このような事例は、天声人語の例を待つまでもなく世の中には無数に存在している。一人の英雄はそれに反対する勢力からみれば悪人である。朝鮮人からみれば伊藤博文を暗殺した何とかという「暴漢」も立派な英雄だ。
そこに普遍的な価値観を持ち込もうとするところがナンセンスであり、また、おのおのの民族に対する冒涜であるということに朝日新聞は気づかない。日本やイスラエルで極悪人である岡本公三がアラブでは英雄でもいっこうにかまわないではないか。アラブ人はイスラエルと敵対し戦争をしているのである。ただし、例え岡本公三がアラブで英雄であろうとも、日本にとってみれば犯罪者である。これに関して妥協する必要は全くない。犯罪者の引き渡しを今後とも求めていくだけである。
「英雄」とは「国家」や「民族」によって生み出されるものである。「国家」と「民族」を否定する朝日新聞にはこんな単純なこともわからない。
■《天声人語批評》(2000/03/15)
| ■《朝日新聞社 asahi.com 天声人語:2000/03/15:より引用》
ある公立高校の卒業式の一場面である。知人が卒業生の父母の1人として出席した。式が進んで、「国歌斉唱」と司会者が告げた。 すぐにテープの前奏が始まった。ところが、当然あると思っていた「一同起立」とか「みなさん、ご起立ください」といった、そのつぎの指示がない。知人はとまどった。立っていいものかどうか、よくわからない。周りの人も混乱しているようだ。 前奏が終わり、#君が代は、の部分に来た。知人はそこで、意を決して起立し、ともかくも歌いだした。しかし、父母席のほとんどは座ったままだ。座って歌うのは勝手が違うのか、歌声もあまり聞こえてこない。前方の生徒席も、何人かが起立しているだけだった。 横手の教師席も、ほぼ全員が着席。人数が少ないから、だんだん声も細ってくる。歌い続けるのは負担だったけれど、どうにか終えた。「卒業証書授与」と、司会者はつぎの式次第に移った。――以上の知人の話に、居合わせた数人が感想を述べた。 「一同起立を言い忘れたのか、意図的に言わなかったのか。意図的だとすれば君が代反対の先生たちの作戦かもしれないが、うまいところを突いている」「われわれは国歌斉唱とくると、つぎに一同起立の指示があると思い込んでるもんね」。 「この件では、かなり多数が指示待ち人間なんだ。自発的でなく、上に言われて従うという」「一同起立のとき、反対の意思表示として立たない人がいる。あれも決心が必要だが、みんなが座っているのに立つのも大変だ」。 「伴奏があるんだし、歌う自由は保障されている」「でも、もし意図的なら賛成できないな。奇襲作戦のようで」「もとはといえば、強制しないと約束した側が強制してるのがいけない。歌いたくない人を無理に歌わせようとしてるじゃないか」。 この種の甲論乙駁(こうろんおつばく)が、もっとあっていい。 |
いや〜、最後に「この種の甲論乙駁が。もっとあってもいい。」と締めくくるところなど、民主主義を第一に考えてくださっている天下の朝日新聞様らしい天声人語だ。
国民の代表たる国会議員の圧倒的多数が賛成し、一般人のアンケート調査でも70%以上が「君が代」「日章旗」に賛成している現状でも、まだ議論が足りない、もっともっと議論をしつくし甲論乙駁があってもいいとおっしゃってくれる。朝日新聞様は常に民主主義の擁護者、救世主様である。
では、その朝日新聞様の天声人語であるからにはかなりの民主的な議論が交わされ、甲論乙駁がされているに違いない。本日の天声人語を見てみよう。
| この公立高校は国歌を斉唱する際に規律の指示を出さなかった。かつ、その教師達もほとんどが起立していなかった。 | 国歌に反対 | |
| 参加していた朝日新聞記者の知人はみなが起立していないにも関わらず、その中で起立し国歌を斉唱した。このような状況では実に勇気ある行動である。 | 国歌に賛成 | |
| 「一同起立を言い忘れたのか、意図的に言わなかったのか。意図的だとすれば君が代反対の先生たちの作戦かもしれないが、うまいところを突いている」 | 国歌に反対 | |
| 「われわれは国歌斉唱とくると、つぎに一同起立の指示があると思い込んでるもんね」。 | 態度不明 | |
|
「この件では、かなり多数が指示待ち人間なんだ。自発的でなく、上に言われて従うという」 |
指示待ち人間がいることをしっていて高校がとった態度を批判していない。 | 国歌に反対 |
| 「一同起立のとき、反対の意思表示として立たない人がいる。あれも決心が必要だが、みんなが座っているのに立つのも大変だ」 | 態度不明 | |
| 「伴奏があるんだし、歌う自由は保障されている」 | 歌う自由は保障されているのだから、高校の態度は問題ない | 国歌に反対 |
| 「でも、もし意図的なら賛成できないな。奇襲作戦のようで」 | 奇襲作戦に反対であって、高校の態度には賛成 | 国歌に反対 |
| 「もとはといえば、強制しないと約束した側が強制してるのがいけない。歌いたくない人を無理に歌わせようとしてるじゃないか」 | 国歌に反対 | |
なるほど、国歌に賛成1、反対6、不明2。民主主義的な朝日新聞様では、一人の人間の意見を、それに反対する人たちで取り囲みつるし上げるようなことがどうやら民主主義で甲論乙駁であるらしい。
ちなみに、国語辞典にはなんと書いてあるのだろうか。
こうろんおつばく【甲論乙×駁】
甲が何か述べると、乙がそれに反対するというふうに、議論がいろいろ出てまとまらないこと。
(岩波国語辞典)
なんとアカい岩波書店でさえ、甲論乙駁の意味は「議論がいろいろでまとまらないこと」と書いてある。ずいぶん朝日新聞の認識と違うものである。
もちろん、少数意見だからといってそれを踏みにじっていいとは思わない。いろいろな立場の人もいるだろうし、利害が絡むこともある。ある程度はお互いの意見を尊重しなければならないのだが、明らかに絶対的少数意見であるにもかかわらず、それによって全国で反対運動の嵐が巻き起こり、日本国民のほとんどが問題ありだとして反対しているかのような報道は許せない。これがおバカな共産主義者しか読まない「赤旗」とかに掲載するのであれば全く問題ないのだが、朝日新聞は一応「公の言論機関」を自認している。自分たちの主張が大きく左に偏っているにもかかわらず、あまり学のない一般国民を騙し欺き偏向した主張を中道と称して垂れ流し洗脳する。ある意味オウム真理教よりたちが悪い。
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